『幼い子供は自分で考えるということができないのだから、敢えて親が考えを一方的に押し付ける方が望ましい場合もある』とか言ってる人もいるみたいだけど、あのさあそれって、子供の事を舐めすぎだと思うんだけど?
『幼い子供は自分で考えるということができないのだから、敢えて親が考えを一方的に押し付ける方が望ましい場合もある』
とか言ってる人もいるみたいだけど、あのさあそれって、子供の事を舐めすぎだと思うんだけど?
『幼い子供は自分で考えることができない』
なんてのは、子供をちゃんと見てないからそう思うんじゃないの? 子供って猛烈な勢いで色々考えてるよ?
確かに大人と同じ考え方はできてないだろうけどさ、だけどそれも、
『自分の頭で考えて結論を出す』
という経験を積み重ねることでだんだんとできるようになっていくものなんじゃないの?
『親の考えを一方的に押し付ける』ことを当たり前と考えてやってるから、どう考えても道理に合わない筋が通らない理屈を盲目的に信じるような人間に育っちゃったりするんじゃないの?
ああ、そうか。<神の教え>とやらを一切疑うことなく盲信する人間を育てたいから、そういう人間が必要だから、そんなことを言ってるのかな?
それにさあ、言っとくけど、
『子供に対して自分で考えることを一方的に強要する』
ってのも、
『親の考えを一方的に押し付けてる』
という意味じゃ、同じだからね? それは決して<寛容>なんかじゃないよ。なるほど確かに、
<見せかけの寛容>
ってことじゃ、その通りなんだと思う。
だけどさ、それを根拠に、
『寛容であることを否定する』
のはおかしくない? 問題なのはあくまで<見せかけの寛容>を<寛容>だと思い違いしてることであって、それを、<寛容さの否定>に利用するとか、典型的な<論点のすり替え>じゃん。
そりゃ幼いうちは、『自分で考えること』についても上手くできなくておたおたしちゃうこともあるでしょうよ。しかもそこで、
『ちゃんと考えろ!』
みたいなことを高圧的に言ったり、すぐに自分で決断できないのをバカにするような態度を取るのとか、そんなの<寛容>とはまったく逆だよね。
私は私の子供達に対しても、なるべく自分で考えて決めるようにしてもらいたいと思ってる。
でもね、だからって、
『自分で考えることができないあなたはダメな人だ!』
みたいなことを言うつもりはないんだよ。
『自分で考えることをしない』
のは、本当はできるのにやらないのは確かに<甘え>かもしれない。だけど、私が望んでる通りのことを子供達が果たせないのに対してキレたりするのって、決して<寛容>なんかじゃないよね。
何でもすぐに完璧にできるようになるなんて、どこのチートキャラだよ。
ちょっとずつちょっとずつ経験を積んでそれでできるようになっていく。
そういうものだよね。




