<ヒヤリハット>って言葉があるよね。ヒヤリとする瞬間とかハッとなる瞬間とかをいくつも重ねてるうちにそれがいつしか大きな事故につながることがあるっていうあれ。『信号を守る』っていうのはさ、それを減らす
<ヒヤリハット>って言葉があるよね。ヒヤリとする瞬間とかハッとなる瞬間とかをいくつも重ねてるうちにそれがいつしか大きな事故につながることがあるっていうあれ。『信号を守る』っていうのはさ、それを減らすための努力の一つのはずなんだよね。
ちゃんと確認してるつもりでもそもそも信号自体を見落とすことだってあるじゃん。そういうミスがあるのが人間ってものじゃん。
それなのに、そもそも信号を守ろうという意識がなけりゃ、
『自動車とかが来てるかどうかを確認したつもりだけど見落としてた』
瞬間があるのは当然でしょうが。
『普段はちゃんと信号を守ろうと思ってるけどついうっかり見落とした』
っていう瞬間に自動車が来ている確率と、
『そもそも信号なんて無視するのは前提で、その時に自動車が来てるかどうか確認するようにしてたけどうっかり見落とした』
っていう瞬間に自動車が来ている確率とかをちゃんと考えて比較してんの?
それとも、
『ドライバーは<かもしれない運転>をするものだろ! たとえ青信号でも歩行者とか自転車とかが飛び出してくるのを想定してるべき!』
とか言うつもり?
自分は信号なんて守らなくてもいいけど、ドライバーに対しては<かもしれない運転>は守れって言うんだ? それはまた随分とムシのいい話だよね。<ちゃんと考えてる人>ってのは、そういうことを平気で言っちゃう人なんだ?
へえ~? そうなんだ?
そういうのを<ちゃんと考えてる人>って言うんだ?
驚きの事実だよ。
<信号なんて守らなくてもいいという感覚>が当たり前になることで信号を確認する意識が薄まって、そんな人が自動車免許取ってそれで『<かもしれない運転>を律儀に守る』とでも本気で思うの? <ちゃんと考えてる人>はそんな風に考えるんだ?
実際に見てても、一時停止さえ守らない、自転車や歩行者が近付いてても自動車の方が先に行こうとしてる、自転車や歩行者の方を止まらせようとしてる、そんな運転を当たり前のように見るんだけど?
<法律やルールを蔑ろにする感覚>
を目の当たりにして育ってきた人らが免許取って運転してるからそんなことしてるんじゃないの?
『ちゃんと考えて』るんなら、そういうことについても考えられるんじゃないの?
私にはまったく理解できないな。子供達に対して<手本>を見せなきゃいけない、範を示さなきゃいけない、<親>という存在として、そんなのは理解できないししたくもないよ。
私の子供達がそんなのになるとか、真っ平ごめんだね。




