それを願わずにいられない自分自身が嫌い
私の作品のキャラクターは、他人に対して攻撃的なのはかなり少ないと思う。
基本的には<協調型><調整型><融和型><調和型>が多いかな。
だって私自身がそうありたいと思ってるし。
『キャラクターは作者自身を投影したもの』
とはよく言われるけど、まあ、ある意味じゃ間違ってないと思う。ただ、必ずしもそうとは限らないのも事実だけどさ。
『作者的には自分のキャラクターにまったく共感できないけど売れてるから続けてる』
みたいな話も聞くしね。あと、
<自分から見て大っ嫌いなタイプを具現化したキャラクター>
っていうパターンもあるよ。
<憎ったらしい敵役>
とかにはそういうの多いみたいな話も聞くし、私も、いわゆる<悪役>を出す時には、
<私にとって心底ムカつくタイプ>
にしたりはする。ただ、それをすると、そいつが出てくる度に苛々するから実はあんまりやりたくないんだよね。
しかも私、自分がムカつくキャラクターを出してそれをボッコボコに痛め付けて溜飲を下げるみたいな手法も好きじゃないんだ。
憎たらしい悪役が惨めな末路を迎えてスカッとする話が好きな人も多いんだろうけど、私は実はそれは好きじゃない。
私にとって、今一番憎たらしいのは、両親と兄なんだけど、だからって惨めったらしく死んでいってほしいという気持ちと同時に、
『それを願わずにいられない自分自身が嫌い』
っていうのもあるんだよ。
自分のそんな姿を子供達に見せたくないんだ。
『自分にとってムカつく相手の不幸を願う』
のって、結局、自分が不幸になるしさ。子供達にはそうなってほしくないんだよ。
これまでにも何度も言ってきたことだけど、
『類は友を呼ぶ』
っていうのは確かにあるんだよ。そして、『自分にとってムカつく相手の不幸を願う』人間は、やっぱり、そういうタイプの人間が近付いてくる。
で、そういう人にとってちょっとムカつくようなことをしちゃうだけで、相手は不幸になることを望んでくる。ちょっとした不幸があっても嘲笑ってくる。
そんな人間関係の中でどうやって幸せになるの?
常に自分だけが成功して、周りの人間を嘲笑い続けるの? そんなことが本当にできるとでも思ってんの?
それ、異世界に転生して周りからチヤホヤされたいと願うこととどう違うの?
自分にばっかり都合のいい環境を願ってるってことじゃん。
他人を馬鹿にして見下すような人間の周りにはね、そういうタイプが寄ってくるんだよ。それで、
『他人は信用できない!!』
とか言ってたら、
『だってあなた自身が他人から信用されないタイプじゃん』
としか思わないよ。
信用できる相手と巡り会いたいなら、自分が信用される人間にならなきゃ。
<自分が幸せになれる世界>
は、誰かが提供してくれるわけじゃないんだよ。




