だからさあ<昭和の躾で我慢を教え込まれてきたはずの人ら>がどうして我慢しなくなったの? そこでまた『社会の所為』にするつもり?『社会の所為にして我慢しない』なんてのは、そもそも我慢強くなんかないでしょ
だからさあ、
<昭和の躾で我慢を教え込まれてきたはずの人ら>
がどうして我慢しなくなったの? そこでまた『社会の所為』にするつもり?
『社会の所為にして我慢しない』
なんてのは、そもそも我慢強くなんかないでしょ。
高齢者だけじゃなくて、五十代くらいだとまだ<昭和の躾>を受けてきた世代のはずだよね? なのにどうして我慢しない人が多いの? ネットとかで暴れてるのが多いの? ネットだけじゃなく現実世界でもキレ倒してるのが多いよね?
それこそ、自分がルールを無視するのに邪魔だからって、ルールを守ってる人に対してキレ散らかしてたりするのがいるのはなぜ?
そういう現実を見てればこそ、<昭和の躾>なんてただの幻想だったんだなあってのをすごく感じるんだよ。
大事なのは<我慢強さ>じゃない。
<おおらかな気持ちでいられる状況>
の方だってのを、親として子供を育てていればこそ感じるんだよねえ。
私の子供達ってさ、別にただおとなしいだけじゃないんだよ。どっちかと言えば実際には我が強くて我儘とか言いそうなタイプなんだ。だけど、普段はそうじゃないんだよ。だって『その必要がない』から。精神的な余裕があるってこと。余裕があるから我慢もできる。たった数十秒とかを我慢できなくて信号無視したりエスカレーターを歩いたりしないんだ。
夜間に自転車のライトを点ける手間とかが我慢できなくて無灯火で自転車を走らせたりしないんだ。
それだけの話なんだよ。躾らしい躾なんかしてきてない。あくまで私が<手本>を示してきただけだしね。
だけど精神的な余裕があれば信号だって守れるし横断禁止のところで渡らずに横断歩道や歩道橋まで回り道できるしエスカレーターだって歩かないしスピード違反だってする必要ないし、ついでに言うと煙草でイライラを抑えようとする必要もないよねえ。
ああそうそう、煙草と言えば、灰や吸い殻をちゃんと捨てる手間を掛けることさえ我慢してなかったよね? んん? それが<我慢強い人>のすること?
だからさ、昔の人らは別に我慢強かったわけじゃないんだよ。雑だっただけ。だからちゃんとルールを守らされそうになったら我慢できなくてキレるんだろうねえ。
とにかく、
『実際には我慢強くなんてなかった』
ってのがバレちゃったんだ。それで<老害>とか言われちゃったりもする。尊敬もされない。ものすごく分かりやすい話だと思うけど?
でもさ、精神的な余裕がある人は、まだ我慢もできるよね。
そこがヒントだと思うんだよね。




