そもそもさあ、大きな力を持った人が煽動して音頭をとって力ずくで強引に社会の仕組みを変えて、大多数の人はただそれに流されるままに乗っかってるだけなんて、本当にいつまでもそのままでいいと思ってんの?
そもそもさあ、大きな力を持った人が煽動して音頭をとって力ずくで強引に社会の仕組みを変えて、大多数の人はただそれに流されるままに乗っかってるだけなんて、本当にいつまでもそのままでいいと思ってんの?
自分では何も考えず動くこともせず努力もせず、どこかの誰かが自分にとって都合の良い世の中にしてくれることを口を開けて待ってるだけなんて、恥ずかしいとは思わないの?
<自立できている利口な大人>
を自称するんならさあ。
私は決してて利口じゃないけどそれでも恥ずかしいと思うよ? だから人間としてどうあるべきかどう生きるべきかっていうのを考えるし、自分の子供達にもそれを考えられる人でいてほしいと思ってる。
『そんなのどうすればいいんだよ!?』
って言うかもしれないけど、それはあなたの親がちゃんと手本を示してくれなかったから、身近な大人達がちゃんと手本を示してくれなかったから、どうすればいいのかを学び取る機会がなかったというだけであって、できる人にはできんの。
社会そのものを作り変えてしまうような大きな力はないとしても、その中でしっかりと自我を確立して、『誰かの所為』『社会の所為』にして文句を言ってるばかりじゃなくて、自分の手持ちのカードで自分の人生を作り上げていくの。
それこそ、どんな世界だろうが社会だろうが、そうやって生きてる人はどんな時代だっていたと思うんだけど?
自分が世界を社会を変えられないなら変えるだけの力も持ってないなら、せめて自分の人生だけは自力で作り上げていけばいいじゃん。『誰かの所為』とか『社会の所為』とかにしてないでさ。
先日も、雑誌の相談コーナーを担当した時にさ、お子さんが学校でなんか検定を受けたんだけど設問の意味を読み違えて思いっきり勘違いしてやらかして再検定になったことについて、
『こんなポンコツな子供に生んでくれて恨む』
って子供に言われたってお母さんから相談受けたんだけど、もし私が自分の子供達から同じことを言われたとしても、
『あ~、そりゃごめんねえ』
とか応えるしかないなあって思っただけだったよ。ショックなのはショックでも、そういう八つ当たりを私にしてくれるんならそれでいい。他所様に当たるんじゃなくてね。私に向けてくれるだけでもう上手くいってると思う。
これも、子供達をこの世に送り出したのは他でもない私とダンナだから、他の人には何の関係も責任もないことだからね。それをわきまえてくれてるだけでも十分。
その上で、
『だけど今の自分でいかにやっていくか工夫するしかないよね』
って分かってもらうしかないんだよね。




