とにかく、自分以外の誰かに我慢をさせようとする人ほど、本人は我慢をしたがらないという印象しかないんだよね。と言うか、結局は自分が我慢をしたくないから自分以外の人に我慢をさせることで帳尻を合わせようと
とにかく、自分以外の誰かに我慢をさせようとする人ほど、本人は我慢をしたがらないという印象しかないんだよね。
と言うか、結局は自分が我慢をしたくないから自分以外の人に我慢をさせることで帳尻を合わせようとしているだけにしか思えないんだよ。
自分がストレス発散を我慢したくないから誰かで憂さ晴らししようとして、相手に我慢させようとしているって感じでね。
だから、
『イジメはイジメられる方が悪い』
みたいなことを平気で言えちゃう。そんなふざけたことを口にするのをぜんぜん我慢してないじゃん。我慢できてないじゃん。
これもまあ、<イジメられた側>が自分のつらい経験について折り合うために、
『自分が悪かったから』
と自分自身に言い聞かせるのは別に構わないと思うんだよ。そういうやり方だって確かにあると思う。だけどさ、それを他の誰かに対して発信するのは筋違いでしかないでしょうが。だって自分の時とは状況も違うでしょうし、何より、
<自分のつらい過去や記憶との折り合い方>
ってのは、人それぞれ違って当たり前じゃん。自分のやり方が常に正解というわけじゃないし、相手に当てはまるとは限らない。
違う?
だいたいさあ、自分と他者が常に同じだって言うなら、
『どうして自分はイジメられて、他の人はイジメられなかったのか?』
って思ったりしない? ここで、
『たまたま自分は運が悪かっただけ』
みたいに言うのなら、『イジメられる側が悪い』なんて話にはならないじゃん。悪いのはあくまで<運>じゃん。『イジメられる側が悪い』ってのは、
『イジメられる決定的な原因がイジメられる側にだけある』
ということじゃないと成立しないじゃん。
だけどそうなると今度は、同じような感じなのにイジメられる人とそうじゃない人が出てくるのがおかしいじゃん。これって、同じような感じでも実際には違いがあるってことじゃないの?
だったら自分が過去のつらい経験と折り合うためのやり方だってそれぞれ違ってて当然でしょうが。自分のやり方を他の誰かにもやらせるために押し付けるのは筋違いだって言ってんの。
ましてや、加害者側が自分の責任から逃れようとして被害者側の所為にしようとしてるとかなら、それこそ『我慢してない』じゃん。
でしょ?
何より、いくらムカつこうが不法なことをしていいわけじゃないんだよ。<正当防衛>ってのは、咄嗟の場合でそれしかできなかった、不可抗力だった、って場合にのみ適用されるものだからね? イジメを正当化するには使えないから。
『ムカついたからイジメた』
なんて、我慢してないじゃん。




