昭和以前の厳しい躾を受けて育ってきたはずの世代が、『切り捨ててもいい』と思われるような大人で、社会そのものを圧迫するような存在だと思われてるということ自体が本当に情けないよねえ。どうしてそんなことに
昭和以前の厳しい躾を受けて育ってきたはずの世代が、『切り捨ててもいい』と思われるような大人で、社会そのものを圧迫するような存在だと思われてるということ自体が本当に情けないよねえ。どうしてそんなことになっちゃったの?
昭和以前の厳しい躾を受けて立派な大人になれてたんならそんな風に思われないんじゃなかったの?
『目上の人間を敬え』
『親を敬え』
ってのは、自分が目上の人間になったら、親になったら、目下の人間や子供に対して傍若無人に振る舞っていいっていう意味じゃないはずだよね?
なのに実際は、敬うに値しない大人や親になっちゃってるから、『切り捨ててもいい』って思われちゃうんじゃないの? 私はそれをすごく情けないと思う。目上の人間や親を敬わない若い世代や子供達を情けないと思うんじゃなくて、『敬う価値もない大人や親だと思われてる』自分達のことが情けないんだよ。
そうやって自分を省みることができれば、
『若い世代や子供達に敬ってもらえる自分でいられてるかどうか?』
ってのも考えられると思うんだけどなあ。それを考えられないのはどうして? そんな大人だから『切り捨ててもいい』って思われちゃうんじゃないの?
私は歳をとってもなるべく子供達の世話にはならないようにしなくちゃと思ってるんだよね。可能な限り仕事は続けようとも思ってるしさ。
そもそも制度そのものが果たしてどの程度の確実性を担保できるのか本当に考えてたのか怪しい年金制度を運用してるような人らを当てにはできないし、実際、年金支給年齢をどんどん後出しで遅らせていくなんてことを平然とできる時点で、そうだね、『敬えるような大人じゃない』よね。国民に範を示すべき立場の人らがそれだからね。やっぱり、『高齢者は切り捨てるべき』とは思われたって何も不思議じゃないよねえ。
ただこれも、私自身は制度のことを詳細に語れるほど理解できてるわけじゃないから、あくまで<印象>の話でしかないけどさ。
『あ~、この人達は信用も尊敬もできないな~』
ってだけ。それでも私には政治はできないから選挙に行くくらいしかできないんだよ。いくら口先だけで批判したって、
『じゃあ、お前がやってみろよ』
と言われたらどうしようもない。『高齢者は切り捨てるべき』とか言ってる人らも政治家になって実行してみせたらどうなの?
けどさ、あれこれ公約を掲げて選挙に出て当選しても、結局は何もできてないって人も多いじゃん? 実際に政治家になってもそれだし。しかも、政権取っても外国のカルト教団の言いなりになってるんじゃ、安全保障の点でも、ねえ……




