どうしてこの世の創作がすべて自分の好みに合わせて作られるべきだと思えるんだろうね? 展開とか演出とか、そんなのは所詮、『それぞれ個人の好みに合うかどうか?』だけの問題じゃん。 序盤でムチャクチャ頭の
またまた話は変わるけどさ、その上で再度言うんだけどさ、どうしてこの世の創作がすべて自分の好みに合わせて作られるべきだと思えるんだろうね? 展開とか演出とか、そんなのは所詮、
『それぞれ個人の好みに合うかどうか?』
だけの問題じゃん。
序盤でムチャクチャ頭の切れる策士ムーブしてたキャラが途中からグダグダになっていくことにキレ倒してた人らもいたみたいだけど、見たらそれ、序盤に手玉に取ってた相手って、完全に格下の小物と、そのキャラの幼馴染で頭から信じ切っててまったく疑ってもないお坊ちゃんお嬢ちゃんが騙されてたってだけじゃん。
それだけで<策士>? いやいや、無理があるでしょ。普通にただ自分の個人的な復讐のために動いてただけじゃん。それがたまたま最初は上手くいってて、それで調子に乗っちゃったことで道を踏み外していくっていう流れだったじゃん。最初からそんなにすごい策士として描かれてたようには見えなかったけど?
物語全体としても、確かにバイタリティ溢れて現場じゃ目端も利く<小賢しい小僧っ子>が自分達を虐げてきた者達や社会に対して反旗を翻して成り上がってたけど、やっぱり調子に乗っちゃって、
『自分達ならイケる!』
とか思い上がっちゃって踏み込んじゃいけないところにまで踏み込んじゃったことで坂道を転がり落ちるように破滅していくっていう話なんだなとしか思わなかったけどね。
そういうのが成功していく成り上がっていく話を見たかった人にはがっかりだったとしても、上手くいってた時点からすでに、
『たまたま歯車が噛み合っていただけ』
っていう感じだったし、それが噛み合わなくなれば今度は一気に悪い方へ悪い方へ同じ勢いでってのは別に普通だと思うけど?
そういう展開が好みじゃないならそれはそれでいいんだよ。
『虐げられた者達が幸せを掴んでいくサクセスストーリーだと思ってたら悪い意味で裏切られた』
って感じるならそれも正直な感想だと思う。だけどね、自分の好みに合わせて作られなかったことを恨むのは筋違いだっての。
私はあれ、好きだよ。せっかく掴みかけたものを自分達のヘマで失っていく無常さって、あれはあれで物語としてアリだと思う。
『フィクションでまで世知辛い現実なんて見たくない!』
なんてのも、<個人の好み>でしかないでしょうが。てか、どれほど世知辛い展開が繰り広げられたってそれは所詮、フィクション、作り話、嘘、虚構なんだよ。誰かが本当に命を落としたわけでも不幸になったわけでもない。
フィクションであること自体が<救い>なんだよ。
それが分かってなきゃ、『現実とフィクションの区別がついてる』なんて言えないと思うけど?




