他人から見て、『いい家庭だった。いい人だった』ってのは、ホントあてにならないからね? だってその人の一面しか、外面しか知らないんだからさ。<外面を取り繕うのが巧い人>というのは現にいるんだよ
他人から見て、
『いい家庭だった。いい人だった』
ってのは、ホントあてにならないからね? だってその人の一面しか、外面しか知らないんだからさ。
<外面を取り繕うのが巧い人>
というのは現にいるんだよ。私の両親と兄もそうだった。ご近所さんからも、<素敵な家族>と思われてて、その中で私は<駄目な子供>だった。
まあそれも、今は<ダメな自分>を受け止められるようになったから別にいいんだけど、当時の両親と兄に対する周囲の評価は、心底びっくりさせられるよ。
『結局、世間なんて、自分にとって都合のいい情報をお出ししてくる相手のことは甘く評価するんだな』
と感じるだけだな。
自分が<理想の家庭>だと判断したらそれに沿う情報しか信じなかったりする。
『理想の家庭だと判断した自分が間違ってたことを認めたくない』
ってこと? それってどんだけ自分に甘いの? 自分を甘やかしたいの? 自分が間違ってたことを認めるのがそんなに怖いの?
まあ、怖いんだろうなあ。
それでも、両親や兄みたいに当人が、
「世間には馬鹿しかいないのか!?」
とか口にして、SNSでちょっと自分に批判的なことを触れた相手には片っ端から噛み付くみたいなことをしたらさすがにあの人達のことを<理想の家族>みたいに言ってた人達は黙っちゃったみたいだけどさ。
『そんなことを口にしてた事実はなかった』って感じで口を閉ざしたんだ。それがギリギリ、『自分は間違ってない』ってのを成立させる手段だったんだろうね。
『そもそもなかったことにする』ってことでさ。
これについても、私も弱い部分があるし自分を甘やかしたいって部分もあるからことさら強く批判するつもりもないけど、いい気がしないのは事実だね。だってその人達は、
『お兄ちゃんは優秀なのにあんな妹ができちゃって、可哀想に……』
って思ってたらしいからさ。
いや、別に私が優秀だってわけじゃないよ? ダメ人間だってのは紛れもない事実だからさ。でも、『お兄ちゃんは優秀』ってのが、
『あ~、マジ、都合のいい部分しか見てねえわ~……』
って感じるだけ。
いくら外面がよくたって、誰かを傷付けて苦しめて蔑ろにするような人間が礼賛されるような社会じゃ、生き易いわけないじゃん。だって、
<外面をよく保てるだけの優秀さ>
なんてものを持ってる人間って少数派でしょ? たいていはただの凡人なんだし。
少数の<外面を取り繕うのが巧い人>のために多数が虐げられるような社会が生き易いとか思ってんの? てか、まさに今が、
<そういう社会>
なんだよね?




