『子供が駄々をこねるのは当たり前のこと』そういう思い込みがあるかもしれないけど、まずそこを疑ってみるのから始めてみるといいかもね。私もそれを当たり前だって思い込んでたけどさ、実際に子供が生まれてみると
『子供が駄々をこねるのは当たり前のこと』
そういう思い込みがあるかもしれないけど、まずそこを疑ってみるのから始めてみるといいかもね。
私もそれを当たり前だって思い込んでたけどさ、実際に子供が生まれてみると、三人が三人ともそんな酷い駄々をこねたりしなかったんだよね。
でさあ、もしかしたら私がすごく運が良くてたまたま三人とも生まれつきそんな駄々をこねない子なのかなと思ったりしたんだけど、実はさくらの子供達もそうなんだよ。五人もたまたまそうなんて、そんな確率ある? だって、『子供が駄々をこねるのは当たり前のこと』なんでしょ? なのに私とさくらの子供達は五人ともがことごとく違うなんて、
『一人もそういう子がいない』
なんて、おかしくない?
そう考えるとさ、もう大前提そのものを疑う必要があるんじゃないの?
『子供が駄々をこねるのは当たり前のこと。なんていう大前提は本当に正しいの?』
ってさ。
で、うちとさくらんちで確実に共通してる点と言えば、
『子供達の前で大きな声を出して誰かを思い通りに操ろうとはしなかった』
ってことかな。しかもさくらのダンナは、この頃はまだ精神的に十分に安定してたとは言い難い面もあったから、保育園に入れる前はさくらが仕事中はうちで預かって私のダンナが面倒を見てたんだよ。
加えてこの時期は、さくらとも喧々諤々やり合うってのを控えてた時期だったんだよね。何しろ子供が家にいる状態だと、いくら仕事部屋と子供達がいる部屋を分けてたって言っても、やっぱ聞こえちゃってもおかしくないじゃん?
そういうのも気になってたしさ。
で、子供達の周りにいた大人はみんな、
『大きな声で相手に言うことを聞かせようとする』
ってことをしなかったんだよ。その上で、子供達が話し掛けてきたり構ってもらおうとしてたら、あくまで丁寧に対処することを心掛けてた。大きな声で言うことを聞かせようとしなかった。たまについつい声が大きくなっちゃったりした時には『ごめんね』って謝ってさ。
それを<正当な行い>だとは示さなかったんだ。
私もダンナに対して大きな声で強い言葉を使って『ああしろ』『こうしろ』言わなかったし、ダンナも私に対してそんなことしなかった。
それでどうして、『大きな声で相手に言うことを聞かせようとする』ことを学べるんだろうね。我儘を口にするにしたって、あくまで<お願い>って形だったよ。それを私もダンナもさくらも、聞ける時は聞き入れても、聞き入れられない時には、
『ごめんね』
と、どうして聞き入れられないのか丁寧に説明しながら断ったんだよね。ここでも頭ごなしに大きな声で一方的に言うことを聞かせようとはしなかったんだよ。




