『目先の派手な衝突さえ終わったら問題は解決した』とか本気で思ってるんだとしたらびっくりだよ。何なのその、『頭隠して尻隠さず』的な考え方は。大人がそんな考えで子供がちゃんと問題と向き合える人に育つと本気
『目先の派手な衝突さえ終わったら問題は解決した』
とか本気で思ってるんだとしたらびっくりだよ。何なのその、
『頭隠して尻隠さず』
的な考え方は。大人がそんな考えで子供がちゃんと問題と向き合える人に育つと本気で思ってんの?
いやいやおかしいでしょ?
『子供がどんな人間に育つかは生まれた時点でもうすでに決まってる』
とか無責任な考え方してるから、子供も実際の問題と向き合う姿勢が学べないんでしょうが。
これまでにも何度も言ってきたけど、『子供がどんな人間に育つかは生まれた時点でもうすでに決まってる』なら、親が子供を育てる必要ないでしょうが。<人間牧場>よろしく子供を一箇所にまとめて育てれば管理もしやすいし学校とかに通わせる手間も省けるじゃん。
だけど実際にはそれをしない。
なんで? ホントは親を見ることで子供が育っていくのを分かってるからでしょ?
しかも、
<親の愛>
とか、
<親と子の絆>
みたいなモノをありがたがったりする。『子供がどんな人間に育つかは生まれた時点でもうすでに決まってる』なら、そんなもの全然関係ないじゃん。
だからもういい加減に認めようよ。
『子供がどんな人間に育つかは、親の在り方が大きく影響する』
ってさ。
親がそういう現実と向き合わない姿を見せてて子供がどうやって現実と向き合う姿勢を学べるって言うのさ?
私はこれを何度も何度も考えてきて、いまなお別の考え方を、別の道理を見付けることができてない。<非出生主義>や<オカルトに頼る生き方>についてはその非合理性を実感できたけどさ。
自分自身が親になって実際に子供を育ててみたら余計に確信できたよ。むしろ、何をどうすればそれを否定できるのか、ますます分からなくなってくる。ましてやオカルトでそれを否定しようとする大人がいることに愕然とするね。
なんでそうまでして現実から目を背けたいんだか。そうまでして現実から目を背けるような人が何で親になろうと思ったんだか。
真っ向から現実と向き合うことがつらい時があるのは分かる。逃げ出したくなることがあるのも分かる。時には実際に敢えて逃げる必要だってあるだろう。
だけどさ、そういう親の弱さを嘘や虚飾で塗り固めて誤魔化してるような人が、
『時には暴力で解決する必要があるのが現実だ!!』
とか言ったって、説得力なんかまるでないっての。
だって現実と向き合う勇気を持ってないのはあなたの方じゃん。って話だしさ。
私? 私は弱っちいただの臆病者だよ。
でも、だからこそそんな自分の弱さを認めなきゃいけないと思ってる。




