もし私の子供達が私に対する文句を言ってても、それに対して、『親に育ててもらってるクセに』とか言うのは許さない。それは、私自身の、<親としての矜持>に対する最大の侮辱だからね。だって私は、現実を受け止め
もし私の子供達が私に対する文句を言ってても、それに対して誰かが、
『親に育ててもらってるクセに』
とか言うのは許さない。それは、私自身の、
<親としての矜持>
に対する最大の侮辱だからね。だって私は、現実を受け止めてるから。
『子供達をこんな世界に送り出してしまったのは私の勝手』
『子供達に生まれる前に承諾をもらった事実は存在しない』
『子供達を育ててるのは、私自身の行いに対する贖い』
っていう現実を受け止めてんの。その上で子供達が私に対して文句があるなら、それは私の<いたらなさ>だよ。私の未熟さが原因だ。
もちろん、
『原因があるからって何をしてもいいってわけじゃない』
ってのはこれまでにも何度も何度も何度も何度も何度も繰り返し言ってきたことだけど、だからって、
『私の子供達が私に対して文句を言うことも許さない』
なんてつもりもないんだよ。子供達は<お客>じゃないしね。私の子供達は、私の身勝手な想いで一方的にこの世に送り出された存在なんだ。立場は何一つ<対等>じゃない。お客は自分の意志で商品を選ぶこともできるけど、子供達は自分の意志で生まれることを選んだわけじゃない。この当たり前のことさえ理解できないの?
私の子供達が他所様の親に文句を言うのは筋違いだからそれはお説教ものだとしても、私に対して文句を言うのは<当然の権利>なんだよ。だって私の勝手で一方的にこの世に送り出されちゃったんだから。
子供達の文句を受け止めるのも、私の<親としての矜持>だっての。私達親子の問題に赤の他人が口出しするんじゃない。
てかまあ、だからこそ自分の親に対する文句や愚痴は、あんまり他所様から見えるところに出すものじゃないとは思うけどさ。自分の親に文句があるなら、直接言うべきだと思う。それが怖くてできないってんなら、せめて信頼できる誰かに相談するくらいにとどめておいた方がいいかなあ。
とも思うかな。
それを、まったく見ず知らずの赤の他人からも見えるところに掲げるってのは、それはもう、
『信頼できる相談相手がいない』
ってことを自分で宣言してるのと同じだと思うし、その人の親が、自分の子供を人間扱いしてないっていう何よりの証拠だろうなとは思うけどさ。
自分の子供を人間として認めてるなら、何か思うことがある程度は当たり前だってのが分かるんじゃないの? 人間だから納得いかないことに対しては不満の一つも口にしたいと感じて当たり前じゃないの? だったら親として、自分の子供の不満に向かい合うくらいのことはするべきだと、<親>だからこそ思うんだけどね。
それをしてくれない親だから、直接言うんじゃなくて、見ず知らずの赤の他人に漏らすんだよね?
これは親としては大変に情けない話じゃないかなあ。




