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『親や目上の人間は四の五の言わずにとにかく敬え』ってのは、どんなロクデナシでも、親や目上の人間だってだけで敬ってもらえるようになれるって考え方だよね? 自分を省みて拙い部分は改めていこうとしなくても

我ながらしつこいと思うけど、もう一度言うよ?


『親や目上の人間は四の五の言わずにとにかく敬え』


ってのは、どんなロクデナシでも、親や目上の人間だってだけで敬ってもらえるようになれるって考え方だよね? 自分を省みて拙い部分は改めていこうとしなくても、ただ『親になっただけ』『歳をとっただけ』で敬ってもらえるようになるの。


そりゃわざわざ努力して<尊敬されるような人間>にならなくてもいいよね。


とは言え、前にも言ったように日本じゃ<謙遜>という概念があるから、


『自分は本当に敬ってもらえるような人間なのだろうか?』


と自分自身を省みるという感覚もあったりするおかげで、まだマシなのかもしれないけど、『謙遜という概念を持たない外国を見倣って』そういう感覚を失ったとしたら、うん、やっぱり考えるだに恐ろしいね。


だから私は、親だっていうだけで、目上の人間だっていうだけで、偉そうにしようとは思わないんだよ。


『自分はそんな風に敬ってもらえる人間なんだろうか?』


ってのを常に忘れないように心掛けてる。そうじゃないとそれこそ私の両親や兄と同じことをしでかしかねないからね。あの人らを見て育った私には、あの人らと同じ感覚がしっかりと根付いてるはずなんだ。だからこそそれを否定し続けないと容易くそっちに流されると思う。


だってさあ、自分だけを大事に考えてたらいいって生き方は、確かに楽だろうからね。他の人のことなんて考えなくていいんだから。いつだって自分の気持ちや気分や感情だけを優先してればいいんだから。


なにか自分に都合の悪いことが起こったら、


『自分は何も悪くない。悪いのは他の誰かだ』


って思ってりゃいいんだからさ。


でもさあ、そんな親や目上の人間を敬いたいと思える? 『敬え!』って強要されて納得できる? できないんじゃないの? 私はできないね。


だったら自分がそういう人間になってちゃダメじゃん。それだけの話でしょ? なんでそれを理解しようとしないんだろうね。と考えたら、やっぱ、


『自分のやってることが適切じゃないかもしれないというのを認める勇気がない』


ってことじゃないの?みたいに感じるわけ。


『自分自身を省みるということができないような親や目上の人間でも敬って当たり前』


なんていう社会がまともな社会になれる気がまったくしないんですけど? 子供や目下の人間に敬ってもらいたいなら、まず自分が<敬ってもらえる人間>になることを心掛けるのが先だと思うんだけどねえ。


順序が逆じゃん。



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