本当にさ、よく考えてみようよ。<狡い人>はどうして<狡い人>になっちゃったのか。誰だって赤ちゃんの時は別にそんなこと考えてなかったよね。赤ちゃんが親の都合を考えずに泣いたりするのは、あくまで命に関わる
本当にさ、よく考えてみようよ。<狡い人>はどうして<狡い人>になっちゃったのか。
誰だって赤ちゃんの時は別にそんなこと考えてなかったよね。赤ちゃんが親の都合を考えずに泣いたりするのは、あくまで命に関わるからだよね。
痛かったり不快だったり怖かったりすることについても、それがどういうものなのか知らない赤ちゃんにとっては、やっぱり命に関わるかもしれない異変かもしれないから、泣く事でそれを訴えようとしてるんだよね。
それは決して<狡さ>じゃなくて、ただ、怖いからでしょ?
なのに、親をはじめとした大人は、
『生んでやった』
とか、
『育ててやった』
とか、狡いことを考えて子供と接してたりする。口では立派そうなことを言うのに、実際の行動は伴わない。平気で嘘を吐く。約束を反故にする。嘘を吐いても約束を破っても、それを反省もしない。
『人に優しく』と言いながら、何か気に入らない事があると平気で他者を傷付ける。
親がそういう狡いことをしていたら、子供がそれを学び取っちゃっても何も不思議じゃないでしょうが。
逆に親がそういうのを見せないでどうやって子供がそういう<狡さ>を身に付けると思うわけ?
身に付けると思うなら、どうやって身に付けると思うのか、言ってごらんよ。
『親以外の誰かが狡いことをしているのを見て真似る』
って? いや、だから、親自身がやってる<狡いこと>をどうしてそこで無かったことにするの? と言うか、そうやって親がやってる<狡いこと>を無かったことにするってのがもう狡いじゃん。
しっかり狡いことしてるじゃん。それで、『他の人のを真似た』とか、よく言えるよね。
もちろん、馬鹿正直なだけじゃ逆に生きづらいっていうのも分かってるよ。生きていく上で多少の狡さも必要なのは分かってる。でもね、『平気で嘘を吐く。約束を反故にする。嘘を吐いても約束を破っても、それを反省もしない』とか、『人に優しくと言いながら、何か気に入らない事があると平気で他者を傷付ける』みたいなタイプの狡さを見せてたんじゃ、『他の人のを真似た』なんて誤魔化しは通用しないでしょ?
『現に自分がやってることを認めようとしない』
ってのも、<悪辣な狡さ>だよね。
自分がそういう事を子供の前でやっていないのかどうか、ちゃんと省みたらどうなの?
親や身近な大人のそういう振る舞いを見もせずに子供がそういう狡さを身に付けられるなんて、ただのオカルトだよ。
むしろ、テレビとかで誰かが狡いことをしているのを見てそれを真似たと言うのなら、そもそも親や身近な大人が狡いことをしているから、テレビの中とかでやってる<狡いこと>を是認してる、正当化しちゃってる、ってことじゃないの?
で、そうやって<狡い人>が作られて、世の中に解き放たれちゃうわけだね。




