人の弱みに付け込んで利用しようとしてるあくどい宗教が少なくないことは事実だと思う。だけどさ、『<どこの誰だか分かんない人が作った胡散臭い教義>なんてのが説得力を持ってるように思える』ってのがそもそも
人の弱みに付け込んで利用しようとしてるあくどい宗教が少なくないことは事実だと思う。だけどさ、
『<どこの誰だか分かんない人が作った胡散臭い教義>なんてのが説得力を持ってるように思える』
ってのがそもそもおかしくない? 自分の親より家族よりそんなのに魅力を感じるって、つまり、
『その人にとっての親や家族は胡散臭い宗教よりも魅力がなかった。価値がなかった』
ということになるよね? なんで? なんでそんなことになっちゃうのさ?
だけどこれも、私の実の両親や兄のことを思い出せば納得できちゃうんだよねえ。自分のことばかりが可愛くて、私のことなんか家畜以下にしか思ってなかったような親や家族なら、そりゃ調子いいこと言ってる宗教の方が魅力的にも価値があるようにも見えちゃうよ。
いや、冗談抜きで、
『あの人らと一緒にいるくらいならカルト教団で共同生活してる方がまだマシ』
と実際に感じるもん。
だけど、<今の家族>と比べると、宗教なんて何の魅力も価値も感じないんだよねえ。
うん、やっぱりそういうことだよね。
どれほどおありがたい教義を掲げてたって、所詮はどこかの誰かが考えただけのもんじゃん。しかも科学的な知識なんてロクになくたってでっちあげることのできるオカルトだったりするんだよ? もちろん、哲学的に<人間という生き物>や<人間の社会>を説明してくれていたりする部分もあるのは知ってるけどさ、それだって、突き詰めてみたら、
<文学的な解釈>
ってだけじゃん。ましてや回りくどい言い回しで煙に巻くような、何か難解なことを言ってるようにみせかけるなんて手法を用いてる時点で、
『ああ、わざと理解しにくいようにして、『この教義を完全に理解できている教祖や幹部の人達はすごいんだ』って思わせようとしてるんだなあ』
としか感じないよ。本当に大事なことを伝えたいなら、相手に分かるように、伝わりやすいように、きちんと嚙み砕いた<伝わる文言>にするべきでしょ。
『本当に大事なことを伝えたいなら』
ね。
なのにそれをしないっていうのは、ただただもったいぶることで、
『何かありがたいもののように見せかける』
ことが第一目的になってるとしか思えないけど? それでなくても、ある昔の偉いお坊さんが愚痴ってたみたいに、
『この教えは、ただ我一人を救うためのものだった』
って調子で、
『そのお坊さんの息子や弟子にはちゃんと伝わっていなかった』
なんてことがあったりするじゃん。
何十年もかけて教え諭していったはずなのにそれだったりするんだよ? なのにわざわざ難解な言い回しをしてるとか、
『伝える気ないじゃん』
『理解させる気ないじゃん』
としか思わないよ。
もうその時点で、
『ホントは救う気とかないんだろうな』
としか思わないんだよね。




