『尊敬すべき相手、信頼すべき相手なんだから、どんなにおかしいと感じたことも、どんなに間尺に合わないことも、批判するな疑問に思うな、ただただ信じろ』なんて、カルト教団が信者に対して求めてることじゃん
『尊敬すべき相手、信頼すべき相手なんだから、どんなにおかしいと感じたことも、どんなに間尺に合わないことも、批判するな疑問に思うな、ただただ信じろ』
なんて、カルト教団が信者に対して求めてることじゃん。いわゆる、
<親の愛>
だの、
<家族の愛>
だのを押し付けてくる人らの言ってることってさ。
分かる? <盲信>を求めてるんだよ。
で、同じ盲信を求められるなら、そりゃ自分を甘やかしてくれる方を、自分にとって耳に心地好い言葉を掛けてくれる方を選んだって当然じゃないの?
『あなたのためを思って厳しくしてるの』
とか、<親の愛><家族の愛>を盲信することを求めてくる人らはよく口にするけどさ、それって、
『愛情を言い訳に自分の憂さ晴らしに利用してることを誤魔化してる』
だけじゃん。てか、ただの<自己満足>だよね? たとえ自分の子供であっても家族であっても相手が<自分とは別の人間>である事実を無視した、自己愛であり自己陶酔なだけじゃん。
自分の家族との時間よりも赤の他人が掲げるオカルトの方が魅力的に見えるってのは、そういうことでしょ?
カルト教団から連れ戻したのがまたカルト教団に戻らないようにしたいなら、カルト教団の手法を再現してみせればいいんじゃないの? その人にとって納得のいくことを説いてあげればいいんじゃないの? カルト教団が甘やかしてくれたっていうのなら、甘やかしてあげればいいじゃん。それで教団に戻るのを防げるならそっちでいいじゃん。
『甘やかしたくない』から引き留めておけないのなら、
甘やかしたくないという自分の感情 > カルト教団に参加されるリスク
ってことなんでしょ? <甘やかしたくないという自分の感情>を優先した結果が<カルト教団への再合流>なんだったら、望んだ通りの結果じゃん。それでどれだけの迷惑を被ろうが、自分がそれを選択したんじゃん。
どうあっても教団に戻ってほしくないなら自分の感情は後回しにしたっていいのにさ、それができないって言うのなら、自分の感情の方が大事なんでしょ? だからその人は教団を選ぶことにしたんじゃないの?
自分の方が大事だと思ってもらえてないのが分かるから。
自分を必要としてくれるところに戻りたいんでしょ?
たとえそれが<嘘>だと分かっててもね。利用されてるだけだと分かっててもね。
『嘘を吐いてるだけ』『利用してるだけ』そんなカルト教団に『負けてる』ってことだよね。取り戻せないというのはさ。
なぜ勝てないのか、よく考えてみるべきじゃないの?
『現実を見たくない』
と言うのなら、カルト教団に逃げて現実を見てない人と同じじゃん。




