それにしても不思議に思うんだけどさ、『外国のカルト教団が政治の中枢にまで入り込んでる』とかいう話について、普段、『外国の侵略に対して強い態度で臨むべきだ!』みたいな勇ましいことを言ってる人らは何を
それにしても不思議に思うんだけどさ、
『外国のカルト教団が政治の中枢にまで入り込んでる』
とかいう話について、普段、
『外国の侵略に対して強い態度で臨むべきだ!』
みたいな勇ましいことを言ってる人らは何をやってるのかな? 特に、同じく政府の中枢にいるはずの<勇ましい人ら>はさ。
その手のことが話題になっても、いつもは勇ましいことを言ってるその人らがだんまりになるのはなんでなんだろうね?
睨まれたら困るから? 自分の政治生命が脅かされるから? そんなのでよく勇ましいことを口にできるよね?
私は無理だよ。自分よりも確実に強い相手に偉そうな態度なんてできないし大きな口も叩けない。
だからこそ、自分より弱い相手に対しても『偉そうにしない』『横柄な態度を取らない』『一方的に命令しない』を心掛けているんだ。そんなことをしてて自分より強い相手には同じようにできないんじゃ、信頼なんかされるはずもないしさ。
つまり私は、
『普段は外国の侵略行為に対して強い態度で臨むべきだとか勇ましいことを口にしながら政府中枢に入り込んでるという外国のカルト教団に対してはだんまり』
なんていう政治家とかは信頼も信用もしないってこと。
で、そういう政治家を信頼も信用もしないってことは、自分がそんなことをしてたら信頼も信用もされないって自覚しなきゃと思うんだよ。
信頼も信用もできない相手と同じことをしてて、なんで自分が信頼されたり信用されたりするって思えるのかが私には理解できない。そりゃまあ、利害が一致した人らからは支持も集められるかもだけど、それって信頼されてるから? 信用されてるから? とてもそうは思えないんだけどな。利害関係の一致だけで成立してる関係なんて、そこが崩れたらすぐにダメになるじゃん。
『普段は外国の侵略行為に対して強い態度で臨むべきだとか勇ましいことを口にしながら政府中枢に入り込んでるという外国のカルト教団に対してはだんまり』なんてことをしてたら、普段の勇ましい様子を信じて支持してる人らはどう思うのかなあ? どう感じるのかなあ?
『なんだ。口ばっかりで実際には何もできないんじゃん』
とか思ったりしないかなあ?
正直、宗教の話は、それを信じてる人らは自分に都合の悪い話には一切耳を傾けないのが分かってるから、基本、『こちらからは関わらない』ってのが私の姿勢だよ。
それと何より、
『自分の家族が宗教に依存しなくても済むようにする』
のが大事だと思ってる。
てか、
『自分の家族より赤の他人が作った宗教に依存せずにいられない状況を放置』
なんてのが私には理解できない。




