あと、『ストレス耐性を付けるためには厳しくしなきゃダメだ!』とか言ってる人は、はっきり言ってストレス耐性がないよね。だってそういう人って自分を批判されたらすぐにキレるじゃん。ストレス耐性がないでしょ
あと、
『ストレス耐性を付けるためには厳しくしなきゃダメだ!』
とか言ってる人は、はっきり言ってストレス耐性がないよね。だってそういう人って自分を批判されたらすぐにキレるじゃん。ストレス耐性がないでしょ。
って、これも今までにも何度も言ってきたことだけどさ。しかも、それを言ってる人で、自分の目下の相手には厳しい態度で臨んでたりするクセに、
『他人の作ったモノなんて食べられない!』
みたいなことを言ってたりしたら、
『いや、あなたがまず<他人が作ったものを食べるというストレス>に耐えられるようになるべきでしょ?』
としか思わないんだよね。
しかもそういう人が体罰を礼賛してたりしたら、
『他人がせっかく作ってくれたものを『こんなもの食べられるか!』とか言って無駄にするような礼儀知らずは体罰で厳しく躾けられるべき!』
って話にならないとおかしいと思うんだけど? なのに、自分のことについては言い訳並べて正当化しようとするんだよ。
不思議だよね。
なんでそんな人が信用できると思うの? 言ってることとやってることがハチャメチャじゃん。ぜんぜん筋が通ってない。とにかく自分にだけ都合よく何もかも合わせてくれることを望んでるよね。
他者に厳しく自分には激烈に甘い。本当にそういうことじゃん。
これも何度も言ってることだけど、私も自分には激烈に甘いよ? 本当に人としてダメな人間だってのは自覚してる。でもさ、『だからこそ』なんだよ。自分がそうなのに他者に対して厳しいなんてのは、まったく<無駄な努力>になりかねないんだよ。どんなに偉そうな立派なことを言ってたって、自分の行状が知られるだけですべてご破算になっちゃった事例だって、今までに何度も何度も何度も何度もあったじゃん。信用も信頼も失って落ちぶれた人も何人もいたんじゃないの?
政治家とかだって、プライベートの行状が掘り起こされて軽蔑された例もいくつもあったじゃん。
だけどそれが最初から偉そうにとかしてなけりゃまだ落差が少なく済んだかもね。
私も、プライベートを暴かれたらそれこそ、
<最低なダメ人間>
って言われたって仕方ないくらいダメダメなんだよ。でも大事なのは、私が立派な人間かどうかじゃなくて、
『ダメ人間でも心掛け次第でこうして幸せを掴むことができるんだ』
ってことなんだ。
これは決して<精神論>じゃない。<根性論>じゃない。私は精神的にタフなわけでも根性が据わってるわけでもない。非力なヘタレだよ。でも、『それでも』なんだ。




