ただまあ、それと同時に、『誠意をもって言葉を重ねれば相手もきっと分かってくれます』みたいなことを普段は口にしてる人の中にも、自分の思い通りにならないとなればやたらと攻撃的になる人っているよね。実はそう
ま、<体罰の効能>云々の話で言えば、私みたいな生意気な女に対しては、
『殴って分からせてやらないといけない』
とか考えてる人が体罰を礼賛しているって考えるだけでももうその本質が見えちゃうと思うんだけどね。
ただまあ、それと同時に、
『誠意をもって言葉を重ねれば相手もきっと分かってくれます』
みたいなことを普段は口にしてる人の中にも、自分の思い通りにならないとなればやたらと攻撃的になる人っているよね。実はそういう人も、体罰を礼賛してる人と本質は同類なんだろうなと思ってる。だって攻撃的に振る舞えば相手が怯んで自分の言いなりになると思ってるんでしょ? それって体罰でどうにかしようというのと同じ考えだよね。
だから私は、たとえ手を出さなくてもとにかく攻撃的な人は信用しないようにしてるんだ。
<攻撃的な自分を律しようと努力している人>は信用してもいいかなと思えるし、それで信用できてるヒトもいる。
そうだね。結局は、『何を言っているのか』じゃなくて『どんな振る舞いをしているか』が重要なんだと思う。口先だけでいくら立派なことを言ってても実際の振る舞いが伴ってなけりゃ意味がないでしょ。
<他者を不快にさせないためにあるはずのマナーというものを説きながら自分は他者を不快にさせまくっている人>
みたいなのがいるのと同じでさ。まあ、その意味では私も他者からの信頼や信用を得られるような振る舞いが日常的にできてるとは思わないけどさ。こんなことを言ってる時点で、
『こいつムカつく!!』
って感じる人もいるだろうし。
これまでにも何度も言ってきたと思うけど、私は別に、
『私の言ってることが全て正しいから一から十までなんでも無批判に従わなきゃダメだ』
とか思ってるわけじゃないんだよ。法に触れない範囲のことであればそれぞれ自分の信念を貫けばいいと思う。
たださ、体罰とかについては現に禁止されているんだから、それを『使うべき』とか言って教育関係者を唆そうとするのは、それって犯罪行為をやらせようとしているようなものじゃないの? とは、思うかな。
<どんな問題も言葉で解決しましょう。とか口にしながらやたらと攻撃的だったりする人>
なんかと同じで、結局、自分だけが正しいと思ってるんだろうなって、そんな気しかしないんだよね。
自分自身を省みるということをしないんだよ。だからいつまでたっても成長しない。自分より弱い相手にイキがることを止められない。
<大人>に見えないんだよね。




