私の身近にはさ、本当に物心つく前から暴力に曝されてきて、それで暴力に対して耐性ができた上に麻痺しちゃって、本人も暴力に頼るようになっちゃったっていう事例が実際にあるんだよ。 それじゃあ意味ないでしょ?
私の身近にはさ、本当に物心つく前から暴力に曝されてきて、それで暴力に対して耐性ができた上に麻痺しちゃって、本人も暴力に頼るようになっちゃったっていう事例が実際にあるんだよ。 それじゃあ意味ないでしょ? 加害者を作るだけなんだから。
そのヒトもまあ今じゃその攻撃性を抑えることができてて、家庭も築けてるんだけどさ。だけどそこに至れるようになるまでが本当に大変で。本人が意図してちゃんと抑えるようにしないとダメで。
薬物依存と同じだよ。一生やめ続けないといけないんだ。ちょっとしたはずみですぐ元の木阿弥になる可能性がある。暴力によって人を思い通りに操ろうとすることに対する依存性というのは、それぐらいのものだと思う。
このことについては人間社会においても研究が進んでるんだろうけどさ。早く医学的にはっきりさせて欲しいなって思う。
もっとも、暴力に依存してる人はそれでも認めないんだろうけど。それこそが怖さだよね。そして<認知の歪み>ってものだと思う。
私がやってる程度の努力もせずに、
『口で言っても分からない』
とか言っちゃうんだからさ。確かに私が口で言っても分かろうとしない人はいると思うよ? ここまで言っても体罰の効能を信じる人は、私の言ってることなんて聞こうとしないだろうからね。
だけどさ、そういう人は殴られたら意見変えるの? ねえ、殴られたら私の意見を聞くようになるの? ならないんじゃないの? そんな自分のことを考えるだけでも、
『殴れば分かる』
『殴らなければ分からない』
なんて考え方のおかしさが分かると思うんだけどねえ。
『自分が納得できない意見を押し付けられても、殴られたら考えを改めるようになる』
って、自分自身に当てはめて考えてごらんよ。本当にそれで納得できるのかどうかをさ。
それで納得できるのかどうかを考えてみたら、『殴れば分かる』『殴らなければ分からない』なんて考え方の非合理性が分かると思うんだけどなあ。
殴られたって分からないものは分からないし、分かりたくないものは分かりたくないんでしょ? 自分がそうなら他の人だってそういう部分があるとは何で考えないの?
『体罰は禁止されてる』
それが現実なんだよ。その現実を受け入れたくないんでしょ? それを、殴られたら意見変えるの? 体罰禁止を受け入れるの? 受け入れないんでしょ? だったらそういうことなんだってどうして分からないの? 体罰の効能なんて実はその程度のものだってことをさ。
私は親だから、子供達に、
『どうして悪い子を殴っちゃいけないの?』
って問われたらちゃんと応えられるようになろうとしてるんだよ。
『悪い子を殴りたいというのは、ただ自分の感情をぶつけたいだけだからだよ。それは教育でも指導でもない』
ってさ。




