『他者に対して厳しい人間はとにかく自分には甘い』 ホントにつくづくそれを実感させられる。『教育や躾のためには厳しく叱ることも必要だ!』とか言っちゃう人ほど自分に対しては激甘なんだって改めて実感させられ
『他者に対して厳しい人間はとにかく自分には甘い』
ホントにつくづくそれを実感させられる。
『教育や躾のためには厳しく叱ることも必要だ!』
とか言っちゃう人ほど自分に対しては激甘なんだって改めて実感させられる。
子供が危ないことをした時なんかについ声を荒げちゃうことがあるのは、人間である以上はまあ仕方がない一面もあると思うよ? 私だってついそういうことはあった。
でもね、それを<教育>とか<躾>だとかいう言葉で正当化するのは<甘え>だって言ってんの。
厳しく躾けられたはずの高齢者を預かってる施設の職員が暴言を浴びせられたり理不尽な振る舞いにどれほど疲弊しきってるか、私が知ってる限りだけでも相当なものだと思うけど?
そういう<職員に暴言を吐いたり理不尽な振る舞いをしたりする入所者>ってのはね、自分のしていることを正しいと思ってるらしいんだよね。だから反省もしないし、自らの行いを改めることもない。
当然でしょ? 本人は『正しいことをしてる』と思ってるんだから。それがね、
<自分の行いを省みることがない振る舞い>
っていうものなんだよ。
つい声を荒げちゃったりした時にそれを正当化するという発想があるというのはね、そういうことなんだ。パワハラとかについてもそれを良くないことだと考えないのも同じこと。
それこそ、相手が自殺とかしたって反省なんかしやしない。
『その程度で死ぬような奴は、どうせ生きていけない』
とか言っちゃったりする。
ねえ? そんなのが本当に正しいと思うの? そんな世界を本当に望んでるの?
私もさ、さくらとの打ち合わせの時なんかには強い言葉で激しく丁々発止やり合ったりするけど、それはついつい気持ちが昂っちゃってそうなっちゃうっていうだけで、別にそんな自分の行いを正しいものだと思ってるわけじゃないんだよ。いつも終わった後、
『言い過ぎたなあ……』
みたいに思っちゃって凹んだりもする。だけどそれは、さくらも同じなんだよね。決して正しい行いじゃないけど、立場が対等だからお互いに許せてるというのもある。
だけどこれは、相手が子供とか部下とかの場合には成立しない。親と子供、上司と部下は、決して立場が同じじゃないからね。
どうしてその<当たり前>をわきまえることができないの? わきまえるのが嫌だから? 嫌だからわきまえないって言うのなら、それは<甘え>だよね? 相手には厳しくするけど自分のことは甘やかしたいんだ?
そういうの、本当にどうかしてると思う。




