結局、『イジメはイジメられる側にも問題がある』と似たような理屈なんだろうなって印象しかないんだよ。<あだ名禁止>に反対するのって。自分が誰かに付けたあだ名について『実は嫌だった』って言われるのが嫌って
結局、
『イジメはイジメられる側にも問題がある』
と似たような理屈なんだろうなって印象しかないんだよ。<あだ名禁止>に反対するのって。自分が誰かに付けたあだ名について『実は嫌だった』って言われるのが嫌って。要するに、
<加害者側の理屈>
って印象なんだ。
『自分が付けたあだ名を相手も喜んでくれてた』
とか、本当にそう思ってんの? それをどう確かめたの? 自分じゃない人間の内心をどうやって正確に理解したっての?
私が小学校の時に、病気で頭髪がない子がいて、その子のあだ名の一つが、
<ツルリー>
だったりしたことがあるんだよね。他にはもっと酷いのとかもあったけど、個人が特定されそうだから触れない。
ねえ? そんなあだ名を付けられた方の気持ちを本当に考えたことあんの? 実際にはないでしょ? ないから、
『あだ名禁止なんて意味ない』
とか言えるんじゃないの? 嫌なあだ名を付けられた方だって、上辺だけ合わせてくるってこともあるんだよ? で、こう言うと、
『正直に嫌だって言わない奴が悪い!』
みたいに言うんでしょ? 典型的な<加害者の理屈>じゃん。これっぽっちも相手の気持ちなんて考えてないじゃん。それでよく、
『親しみを込めて』
とか言えるよね? <親しみ>なんてこれっぽっちもこもってないじゃん。ただただ自分が一方的に気分良くなりたいだけの自己満足。
相手の気持ちを考えるなんてことが本当にできてるなら、<あだ名禁止>ってことに噛み付くんじゃなくて、嫌なあだ名を付けられて困っててもそれを表に出せない人の心情でも察してあげたらどう? できるんでしょ?
『そのあだ名を嫌がってるかどうかを察する』
ってことがさ。
そういうこともしないで『あだ名禁止とか意味ない!』って、意味分からないよ。
うん、やっぱ、自分が誰かに対して付けたあだ名について、付けられた方が『実は嫌だった』みたいな話を口にしてくるかもってなってくるのを懸念してるだけにしか思えないなあ。
<あだ名禁止>について学校がおかしな形で指導してきたならそのことに対して抗議すればいいだけじゃん。なのにその前段階の<あだ名禁止>そのものに対してケチをつけるとか、ホントどういうこと?
とにかく、改めて言うけど、
『あだ名で呼び合えない関係なんて親しいとは言えない』
みたいな考え方がそもそもただの思い込みだからね? そんな自分の考え方こそが正しいみたいなの勘弁してもらえる?
<嫌なあだ名を付けられるという経験をした人>
がいる限りは、意味のあることでしょ。
『嫌なあだ名を付けられても誰かがそれをやめさせてくれた』
って経験をしたことがない人も少なくないだろうしさ。




