<毒親>とか<ハズレ親>とか言われるような親について『そんな特殊な事例を出してきて<親ガチャ>はあるとか言ってんじゃねーよ』とか言ってるのもいるけど、え? どこが<特殊な事例>? これだけしょっちゅう
<毒親>とか<ハズレ親>とか言われるような親について、
『そんな特殊な事例を出してきて<親ガチャ>はあるとか言ってんじゃねーよ』
とか言ってるのもいるけど、え? どこが<特殊な事例>? これだけしょっちゅう親に殺される子供のニュースが出てきてて、そして<毒親>に対する恨み言がネットに溢れてて、それで<特殊な事例>って、どこの異世界に生きてるの?
<そういう親>は、ごくごくありふれてるくらいにあっちこっちにいるよ? たぶん、自分の身の回りを、冷静に客観的に見たら、一人や二人じゃないと思うけど?
私は自分の親がそれこそ世間に自らの非常識ぶりを大公開しちゃってるから、
<子供の側からだけの主観>
じゃなく明らかにされちゃってるんだよねえ。そういう事例、珍しくもないじゃん。
なのに<特殊な事例>だとか、典型的な<確証バイアス>ってヤツだよね? 自分に都合の悪い情報は見えない認識できないって感じ?
『そういう、現実を見ることもできない大人が現にいる』
ってだけで、もう証明は終了してんじゃん。そうやって現実を見ることもできない大人が親になったら何が起こるのか、想像することもできないの?
『親は子供を育ててやってる』
とかいう<とんでもない思い上がり>についても、いつになったら、
『生む前に子供本人に承諾を取ったわけじゃないんだから子供を育てるのは親の義務であって、そんなことで子供に恩は売れない』
って現実と向き合うことができるの? そんなことを言ってるから、そんな考え方してるから、
『誰が養ってやってると思ってるんだ!?』
『誰のおかげで生活できてると思ってるんだ!?』
とか言っちゃうのが育っちゃうんだってなんで分かんないのさ? 事前に本人に承諾を取ってさえいない<子供を生み育てるという行い>で恩を売れるとか思ってるから、
『<当人同士の合意の上で成立する婚姻関係>ならなおのこと養ってやってることに恩を感じるべきだ』
みたいに考えちゃうのが出てくるのは当たり前だと思うけど? 『育ててやってる』なんて考え方を改められない限り、いつまで経っても『誰が養ってやってると思ってるんだ!?』『誰のおかげで生活できてると思ってるんだ!?』的なのはいなくならないと思うよ? そりゃあ確かに、
<そんな人間を結婚相手に選んだ責任>
はあるからねえ。
<親を選んで生まれてこれるわけじゃない子供>
にさえも、育ててやってる面倒を見てやってる恩を売れると思うくらいだもんねえ。




