『相手を喜ばせないと対価は得られない』って話、『見返りを求めてる』って話にもしっかりと当てはまるよね。見返りが欲しいなら相手を喜ばせないといけないのに、相手が喜ぶかどうかも考えずに一方的に押し付けて
で、
『相手を喜ばせないと対価は得られない』
って話、『見返りを求めてる』って話にもしっかりと当てはまるよね。見返りが欲しいなら相手を喜ばせないといけないのに、相手が喜ぶかどうかも考えずに一方的に押し付けてそれで『見返りをよこせ』って、おかしくない?
自分が受け手の立場だったら、
『対価が欲しければ自分を喜ばせろ。自分の望んでいるものを提供しろ』
とか言っちゃうのに、<善意のふりをした取引>を押し付ける時には、<相手が望んでいるとは限らないもの>を、それどころか<相手が迷惑に感じてるもの>を、承諾もなく一方的に押し付けて、『感謝しろ』とか『恩を感じろ』とか、臆面もなく言っちゃうんだから、ホントにどこまでも自分というものを客観的に見てないよね。
しかも、自分に対して他の誰かが善意を押し付けてきた時には迷惑がるんだ。
『大きなお世話』
みたいに言ってさ。自分がその大きなお世話をやったことは棚に上げて。
あとこれ、『対価が欲しければ自分を喜ばせろ。自分の望んでいるものを提供しろ』って話を改めて考えても、
<自分の個人的な好み>
を一方的に要求してる場合も多いよね。
『テンポが悪い』
とか、
『自分はこのキャラは要らないから出すな』
とか、いやいやそれってただの<個人の好み>ですから。そのテンポで問題ないと感じてる視聴者とか、そのキャラを不要とは感じていない視聴者とかからすれば、何も問題ない話なんだよ?
しかもそれ、
『<自分の好みに合うものを提供してもらうという対価>を要求してる』
よね? なのに自分からは何も提供しようとしてない。それどころか悪態吐いて嫌な気分にさえさせようとしてたりもする。
ねえ? なんでそれで<自分の好みに合うものを提供してもらうという対価>が得られると思うの?
取引ってのは一方的に利益を供与してもらうことじゃないんだよ?
『自分の好みに合わないものに対しては対価を供しない』
のは当然だと思う。それは別に問題ない。
だけどさ、
『自分の好みに合うものを提供しろ!』
と要求するなら、それに見合うものを提供しなきゃだめじゃん。
作り手側も、対価を得るためにはそれに見合うものを提供するように努力しなきゃいけないんだからさ。
本当に、自分だけが一方的に利益供与を受けられて当たり前だと考えてるのが多いのは嘆かわしいと思う。
これは、
『自分の作品が売れないのは読者や視聴者の質が悪いからだ!』
ってのとは別の話。いや、見方を変えれば<同じ話>でもあるのか。
『読者や視聴者が求めてないものを提供しても受け入れろ!』
と言ってるのと同じだからね。
ああ、なんだ。結局はどっちも同じ考えを持ってるだけじゃん。




