何度も言うけどさ、大事なことだから何度でも言うけどさ、私はすでに現に存在するものに対して、『認めない』みたいなことを言うのって、現実を見てないとしか思わないんだよね。だってそうじゃん?
何度も言うけどさ、大事なことだから何度でも言うけどさ、私はすでに現に存在するものに対して、
『認めない』
みたいなことを言うのって、現実を見てないとしか思わないんだよね。だってそうじゃん? そこに存在していること自体が現実だよ? なのにそれを認めないって、現実から目を背けてること以外の何だって言うのさ?
現にそこに存在することを認めた上で、『好きじゃない』『関わりたくない』って言うんなら、それは自分の方が接し方を工夫するべきことじゃないの? なのに、現実の方を捻曲げようだなんて、なに? 神様にでもなったつもり?
だからさ、やっぱり何度も言うように、私は、私に対するアンチの存在も認めた上で接し方を考えてるだけだよ。だけどさ、同時に気分が良くないのも事実だからさ、私の子供達がどこかの誰かに対してそういうことをするのは嫌だなと思うし、何より、私の大切な子供達が<そういうことをせずにいられない状態>にいることが嫌なんだよ。
となれば、<そういうことをせずにいられない状態>というものを解消することを考える。
だけどそれは決して、『そんなことをするな!』と頭ごなしに怒鳴りつけたり叩いたりっていうことじゃない。そんなことをしたって問題は解決するどころか余計にストレスが溜まるだけだよね。それどころか、そのストレスを発散するためにまた誰かに八つ当たりしたり攻撃したりなんてことにも繋がりかねない。それじゃ何も意味がないじゃん。
漫画を読んだりアニメを見たりゲームをしたりしてそれがつまらなかったらアンチとして粘着するようになるからって、『漫画を読むな』『アニメを見るな』『ゲームをするな』じゃなくてさ、
<自分の好みに合わない作品との付き合い方>
ってのを教えるのが、親の務めだと思うんだよね。これは、人間関係でもそう。自分とはそりの合わない相手に対してその存在を認めないとか、むやみに攻撃的になる必要はないっていうことを教えてあげなきゃいけないと思うんだよ。そうすれば、学校で教師に対して舐めたり見下したり攻撃的になったり、駅で駅員に対して攻撃的になったり、店で店員に対して横柄な態度をとったり罵倒したりなんてこともしなくて済むようになるんじゃないの?
こういうのって結局、全部が<人間関係>じゃん。そして、自分が気に入らないからって『相手を人間として認めない』『相手が存在することを認めない』なんて、おかしいよね。
『自分が気に入らない相手のことは存在そのものを認めなくていい』なんてことをしているから、『誰かを攻撃する』なんてことができちゃうんでしょ?




