『自分じゃない人間を一方的に勝手にこの世に送り出したことに対する責任を最後まで持つ』っていうのはさ、決して、『育成に失敗した子供を親の手で殺す』 いう意味じゃないんだよね。だってそうじゃん。子供は親の
『自分じゃない人間を一方的に勝手にこの世に送り出したことに対する責任を最後まで持つ』
っていうのはさ、決して、
『育成に失敗した子供を親の手で殺す』
いう意味じゃないんだよね。だってそうじゃん。子供は親の<所有物>じゃなくて、れっきとした、
<親とは別の人間>
なんだからさ。
『自分が生んだ子供なんだから自分がどうしようと勝手だ』
なんてのはとんでもない勘違いであり思い上がりなんだよね。だって、考えてもごらんよ。野生の場合は、子供がまだ小さいうちは親が圧勝するかもしれないけど、巣立った後で縄張りや獲物の奪い合いなんかした時には、子供の側だって、相手は親だろうがなんだろうが遠慮なんかしないよ? 親を敬ったりしないし、ましてや年老いた親の面倒を見るなんてことしないでしょ。
そんなことしなきゃいけないって言ってるの人間ぐらいのもんじゃないの?
だってそうだよね。血が繋がっていようがいまいが、相手はあくまで自分とは別個体なんだから。
だったら人間だって、自分の子供だろうがなんだろうが、<自分とは別の個体>なんだよ? ちゃんとそれをわきまえなきゃダメでしょ。
親だからって自分の子供を好きにできるっていうわけじゃないんだよ。そこにいるのはあくまで自分と別の個体。別の人間。
それをわきまえてればどう接すればいいかなんて分かると思うんだけどね。
それを理解しようとせず自分の好き勝手に操りたいなんて考えるのは、『楽をしたいだけ』だし『甘えてるだけ』でしょ。
だって、
『人間として扱うなんて面倒臭いことしたくない』
んでしょ?
それってつまり『楽したい』『甘えたい』っていうことじゃん。
違うの? 違うって言うんだったらどう違うのか説明してごらんよ。
私が言ってるのはあくまで、
『子供は親とは別個体であり、別の人間であるという事実を認めず、自分の好きに操りたいと考えるのは、『楽をしたい』『甘えたい』という願望の表れなんじゃないの?』
ってことであって、<躾>がどうとかそんな話をしてるんじゃないからね?
そして子供が親とは<別の個体><別の人間>である以上は、その命も、親の勝手にはできないんだよ?
<別の個体><別の人間>の命を勝手にできるなんて話になったら、自分の命も誰かの都合で勝手にできるという話になっちゃうんでしょうか。
『育ててやってるんだからどうしようが勝手だろ!』
とか言うかもしれないけど、いやいや、育てるのが嫌だったら養子にでも出したらいいじゃん。『養親になりたい』っていう人もちゃんといるよ?




