『他の誰かを見下して嘲笑う』 なんて振る舞いを、一体誰から学ぶんだろうね? 『人間は本能的に自分より劣ってる相手を馬鹿にするものだ!』って言うかもしれないけど、んん? おかしいな。馬鹿にしない人は
『他の誰かを見下して嘲笑う』
なんて振る舞いを、一体誰から学ぶんだろうね?
『人間は本能的に自分より劣ってる相手を馬鹿にするものだ!』
って言うかもしれないけど、んん? おかしいな。馬鹿にしない人はしないと思うんだけど? 本能的にそうだって言うのなら、誰もが同じようにならなきゃおかしいよね。
だけど実際にはそうじゃない。それはなぜ?
確かに内心では馬鹿にしていたりするかもしれないけどそれを日常的に表に出さない人がいるという事実は、どう説明するつもり?
『そんなのはただ上っ面を取り繕ってるだけだ!』
って言うかもしれないけど、なに? そう言うあなたは常日頃からいつでも本音だけで本心だけで生きてるって言うの? そんな人、いる?
いつだってその場の感情に従って誰彼構わず噛み付くような人ってそこまで当たり前にいるの? いるとしてそういう人をどう思うの? そんな人、人間としてまともに生活できる?
人間としてわきまえた振る舞いができない人のことを、『人間じゃない』とか言いながら、自分が人間としてわきまえていない振る舞いをすることについては正当化しようとするんだ?
ホントに自分に対しては甘いよね。
確かにさ、<わきまえた振る舞いができないという事情>を抱えた人もいるよ? それは事実だし、私はそういう人のことを『人間じゃない』と言うつもりはないんだ。どういう事情を抱えてたって人間から生まれてきた以上は人間だからね。
ただ自分は人間としてわきまえた振る舞いをしないのに、それをわきまえた振る舞いができない人のことを『人間じゃない』とか言ったり、他の誰かを見下して蔑んでっていう<人間としてわきまえていない振る舞いをする自分自身>については正当化しようとするのがおかしいって言ってんの。
とにかく、事情があって人間としてわきまえた振る舞いができないという人についてはそういうものだという現実を受け止めるしかないにしたって、『できるのにやらない』『できるけどやりたくないからやらない』なんてのは、人間として恥ずかしいんじゃないの?
だから私は、自分の子供達に対して<人間としてわきまえた振る舞い>ができるように手本を示すように心掛けてきたんだよ。私のやってることを真似るだけでわきまえた振る舞いができるようにね。
そうしたら、常日頃から誰かを見下して嘲るようなことはしないように育ってくれたんだよ。
だいたいさあ、本能だけに従って生きてるような人のことを馬鹿にして見下して嘲ってみたいなことを普段からしてるんでしょ?
なのに自分自分が本能丸出しでいちゃおかしいよね?




