とにかく、<体罰できない教師を舐める子供>なんて、そもそも親に問題があるんだって。『人間を人間として扱う接するという意識を学ばせていない』だけだから。そして学校はそんな親の不始末や手抜きの尻拭いする
とにかく、
<体罰できない教師を舐める子供>
なんて、そもそも親に問題があるんだって。
『人間を人間として扱う接するという意識を学ばせていない』
だけだから。そして学校はそんな親の不始末や手抜きの尻拭いするための機関じゃないから。
『クソガキは殴らなきゃ分からない』
とか言ってる当人が、
<他所様の子供を『クソガキ』とか言っちゃう、礼節を理解してない人間>
だから。とにかく、
『自分の思い通りにならない相手は、脅して殴って言うことを聞かせればいい』
なんてことを子供に学ばせれば、いくら外面を綺麗に整える方法を身に付けさせたって、見えないところで<自分にとって気に入らない相手><都合の悪い相手>を虐げるような人間になるだけじゃないの? 思い当たる節は本当にないの?
私にはありすぎて笑えてくるけどね。両親や兄だけじゃなく、私が通ってた学校でもそんな人は何人もいたよ。教師の前ではいい子のふりをして、でも、教師の目の届かないところでは、イジメをしまくってた人とかね。
ああ、そうだ。<体罰の欠陥>はまだあったね。
『外面を取り繕うのが巧くて自分の本性を見せない人には使えない』
っていうさ。
あはは。やっぱり結局、
『狡い人が得をする』
ってことじゃん。
外面を取り繕っていい人ぶるのが下手な人は体罰を受けて、外面を取り繕っていい人ぶるのが巧い人は体罰を回避できる。なんてさ。
私の兄も、学校じゃ外面を取り繕うのが巧くて教師にはウケが良くて、『体罰を受けたことがない』ってのを自慢にしてたなあ。
兄曰く、
『体罰を受けるような奴は無能』
なんだってさ。
つまり、私の兄に言わせると、親や教師から体罰を受けたことがあるのを『感謝してる』とか言ってる人は無能だってことだよね。
そうだね。兄は確かに両親から体罰らしい体罰を受けてた様子はなかったと思うけど、それでもあんな人になっちゃったのは、『痛みを知らない』からじゃなく、
『他者を人間として接する事を知らない』
からだってのが、自分で子供を育ててみて実感したよ。
兄だって子供の頃に怪我をしたりして泣いていたのを覚えてる。決して『痛みを知らない』わけじゃなかった。あくまで、他者が自分と同じく人間なんだということを、
『他者を人間として扱い接するというのはどういうことか』
を、両親から学んでなかったというのが確実にあるというのは、間違いないと思うね。
親が自分の子供にそれを教えず、その尻拭いを他所の人にやらせるというのは、親として大人として自慢できることなの?




