<作品>ってのは自由でいいんだよ。だってそれは<嘘>なんだから。最初から嘘を嘘として構築してるんだから、現実とは違って嘘であることが大事だと思う。問題なのはその嘘を嘘と認識できないことなんじゃないの?
これまた改めて言うけどさ、<作品>ってのは自由でいいんだよ。だってそれは<嘘>なんだから。最初から嘘を嘘として構築してるんだから、現実とは違って嘘であることが大事だと思う。
問題なのはその嘘を嘘と認識できないことなんじゃないの?
フィクションに影響されて厄介事を引き起こすような人がいるのは確かだと私も思う。私に粘着してるアンチにもそういうタイプは少なくないだろうね。
だけどさ、そういうタイプはそもそも本当に些細な、他の人からすればどうでもいいようなことに執着するタイプなんじゃないの? 別にフィクションに限らずどこかの誰かの他愛ない発言に過剰に反応するタイプじゃないの? そういう人らは、たとえフィクションがなくなったとしても、どこかの誰かの発言の一部を切り取っただけの情報に過剰反応したりするんじゃないの?
私は、私に関わりのない赤の他人が不倫とかしてたって別にどうとも思わないけどな。私の子供達も、嫌悪感は示すけど、当人に直接噛み付くようなことはしないし。
だって、どうでもいいじゃん。自分に関わりのない赤の他人が愚かなことをして勝手に不幸になっていくなんて、自分には何の関係もないじゃん。まあそれが原因で起こった騒動の影響を受けたりしたらいい気はしないけどさ。
他にも、何か事件が起こった時、その容疑者と同姓同名だっていうだけで嘲ったり蔑んだりする人っているよね? そういう人も、
<容疑者と同姓同名なだけの赤の他人という現実>
と向き合えないだけだよね? そういうタイプの人がフィクションがなくなったからってそういうことをしないようになるとでも思ってんの? そもそもフィクションを見てそんなことをしてるんじゃなくて、現実のニュースを見てやってるんじゃん。
違うの?
あと、バラエティ番組なんかで芸人とかが叩いたり蹴ったりしてるのを真に受けて真似する人も同類じゃないの? そういう人はフィクションがなくなったらそんなことしなくなるの?
私には到底そうは思えないんだけどな。
だから大事なのは現実を現実として受け止められる人を育てることだと思うんだけどな。現実を現実として受け止められれば、当然、
<フィクションは現実じゃないという現実>
も受け止められるようになると思うけど?
私やさくらの子供達は、それができてるよ? 特に私の子供達は、
<私というダメ人間の下に生まれてきてしまったという現実>
をちゃんと受け止めてくれてる。
むしろどうしてそれができないような人に育ててしまうのかが理解できないよ。




