<自分自身が人間として扱われなかった経験を持つ人>ってさ、『自分にとって都合の悪い相手を人間と見做さなくていい』って考えてそうだと思わない? 相手が人間だと思えば躊躇うようなことでも、人間じゃないと
<自分自身が人間として扱われなかった経験を持つ人>
ってさ、
『自分にとって都合の悪い相手を人間と見做さなくていい』
って考えてそうだと思わない? 相手が人間だと思えば躊躇うようなことでも、人間じゃないと思えればやれちゃう気がしない?
私は、結局、そういうことだと思ってるんだよね。
世の中にはさ、
『子供は人間じゃないから躾けて人間にするんだ』
的な考え方をする人は少なくないみたいだけど、もうそれがマズいと感じるんだよね。それって、
『自分にとって都合の悪い相手は人間と見做さなくていい』
って言ってるのと同じじゃん。
『自分の思い通りにならない子供なんて人間じゃない』
って言いたいわけでしょ? でもさあ、人間の子供は人間なんだよ。何をどう言い繕っても誤魔化そうとしても人間は人間しか生まないんだよ。人間じゃないものを生むのは<人間じゃないもの>なんだよ。
確かにさ。最初は言葉が通じなかったりするよ? こっちの都合なんてまったく考えてくれないよ? だけどさ、『生まれたばかり』なんだから『経験が足りなくて未熟』なんだから、当たり前じゃん。大人と同じことができなくてもさ。
考えてもみなよ。犬の子供は、生まれた瞬間から成犬とまったく同じことができる? 生まれた瞬間から成犬と同じように生きることができる? できないでしょ? できないけど、子犬はあくまで<犬>じゃん。<犬じゃないもの>じゃないじゃん。
鳥のヒナだって、ヒナだけど鳥じゃん。<鳥じゃないもの>じゃないじゃん。それなのになんで、人間の子供だけ<人間じゃないもの>になっちゃうの? おかしいじゃん。
ねえ、なんで? なんで人間だけ<人間じゃないもの>になっちゃうの? それってやっぱ要するに、
『自分にとって都合の悪い相手は人間と見做さなくていい』
って思いたいだけなんじゃないの? 人間じゃないものだと思えば、
『何やったって構わない』
って思えるからじゃないの?
だけどそれってただの<甘え>だよね? 人間を人間じゃないものとして捉えて自分の都合を一方的に押し付けようなんてさ。
現実を見られてないよね? 現実から目を背けてるよね? そんな風に自分に都合よく物事を解釈しようなんて、<甘え>以外の何だって言うのさ?
そう思うから私は自分の子供を<人間じゃないもの><人間として扱っちゃいけないもの>だなんて考えなかったよ。たとえ私にできることができなかったり、逆に私にできないことができても、それを<人間として扱っちゃいけないもの>だなんて思わなかったんだよね。
だから子供達も、人間を人間として扱ってくれるようになっただけなんだけどなあ。




