なんかさあ、ネットで、『〇〇の所為で傷付いた!』って言ってる人、いるじゃん? まあそれはいいんだけど、でも、だからってなんで『だから私には、〇〇を攻撃する権利がある!!』って話になんのさ? おかしくな
なんかさあ、ネットで、
『〇〇の所為で傷付いた!』
って言ってる人、いるじゃん? まあそれはいいんだけど、でも、だからってなんで、
『だから私には、〇〇を攻撃する権利がある!!』
って話になんのさ? おかしくない?
自分は誰かに傷付けられて<痛み>を知ったんでしょ? なのに、そこで『他人に優しくなる』んじゃなくて、
『他の誰かにもその<痛み>を味わわせる権利がある!』
って話になんのはなんで? それってつまり、
『痛みを知ったからって優しくなれるわけじゃない』
っていう何よりの証拠だよね?
『殴らなきゃ他人の痛みが分からない!!』
みたいなことを言ってるのがまだいるんだけど、いやいや、<痛み>を知っても他人に優しくなれない人間なんていくらでもいるじゃん。てか、そう言ってる自分が優しくないでしょ? もし優しくできることがあったも、それは所詮、
『自分にとって都合のいい相手には優しいふりをできる』
ってだけじゃん。そして、自分自身、
『誰に対しても都合のいい人間でいることなんて、できない』
じゃん。ということは、『自分にとって都合のいい相手には優しいふりをできる』だけじゃ、誰かから攻撃されることがあるのを、むしろ肯定することになるじゃん。
でしょ? ネット上にはそういうの、無数に溢れてるじゃん。
『〇〇に攻撃されたから、自分も攻撃していい!』
って理屈を振り回してるのがさ。なんでその現実を認めないの?
『痛みを知るだけじゃ他人に優しくなれるわけじゃない』
って、なんで認められないのさ? いい加減に現実を見ようよ? 相手に痛みを知ってもらって他人に優しくなれるようになってほしいから殴るんじゃなくて、攻撃するんじゃなくて、ただ自分の憂さをぶつけたいだけでしょ? 自分の気分を晴らしたいだけでしょ?
自分を甘やかしたいだけでしょ?
本心では、相手のことなんてなんにも考えてないんでしょ?
いったい、いつになったらその現実と向き合えるようになるの? 『痛みを知るだけじゃ他人に優しくなれるわけじゃない』って現実と向き合えるようになんの?
ねえ?
ねえ?
大人なんでしょ? 子供に対して、『現実を見ろ!』とか言っちゃうんでしょ? なのに、
<痛みを知るだけじゃ他人に優しくなれるわけじゃないという現実>
をどうして見ようとしないのさ?
痛みを知ってるから他人に優しくなれるなら、す~ぐ他者を殴ったりする人はメチャクチャ優しくなきゃおかしいじゃん。相手から反撃されたりして痛みを知ってるはずだからさ。
違う?




