『〇〇だから自分がこれをするのは仕方ない』『〇〇だから自分が法を無視しても許される』私は、自分の子供達がそんな風に考えることを許さない。認めない。反社会性を正当化しようとする行為そのものを放置しない
『〇〇だから自分がこれをするのは仕方ない』
『〇〇だから自分が法を無視しても許される』
私は、自分の子供達がそんな風に考えることを許さない。認めない。反社会性を正当化しようとする行為そのものを放置しない。
自分の子供達にそんなことをさせないために。自分の子供が他所様を害さないために。
『〇〇だから自分がこれをするのは仕方ない』『〇〇だから自分が法を無視しても許される』イジメだって他の犯罪だって、結局はこれじゃん。そんな風に考えてるからできるんでしょ?
『イジメはイジメられる側に原因がある』
とか、
<他人の所為にして自分の不法行為を正当化しようっていう加害者の理屈>
はいい加減に見直したらどうなの? 『他人の所為にして自分の不法行為を正当化しよう』としてる人なんて、どこを信用すればいいのさ? そんなの、
『なんかその人にとって気に入らないことをしただけで攻撃してくる』
ってことだよ? なんでそんなことを正当化しようとしてんの? 自分が、
『なんか自分にとってムカつく相手を攻撃することを正当化したい』
から? それ以外に何の<合理的な理由>があるって? そもそも、<他人の所為にして自分の不法行為を正当化しようっていう加害者の理屈>が否定されれば、加害行為そのものが正当化されることはないし、加害行為が擁護されることもないよね?
なのに、『なんか自分にとってムカつく相手を攻撃することを正当化したい』とか甘えたことを考えてるから、
『自分だけは気に入らない相手を攻撃することを許されたい』
とか甘ったれてるから、他人が同じように考えることを止められないんでしょうが。『自分だけが許される』なんてムシのいい話はないんだよ。
昨今の、
<自分の気に入らない相手にやたらと攻撃的になる輩>
ってのは、結局はそういうことでしょうが。『自分だけは気に入らない相手を攻撃することを許されたい』とか甘ったれたことを考えてるからでしょうが。
『自分も相手も攻撃できない』
って状態を作らないと、<均衡>なんて保てないんだよ? <抑止力としての核>なんて、まさに、『自分も相手も攻撃できない』できない状態を作り出すために存在してるんじゃないの?
<核の抑止力による平和>
なんてものを容認してる人間はそれこそ、『自分も相手も攻撃できない』状態を作り出すことを目指さないとおかしいでしょうが。
とにかく、
『自分だけが一方的に誰かを攻撃できる』
なんてのは認められることはないの。なんで親が子供にそれを教えることもできないの?




