『叩かれる理由があるから叩かれる』相変わらずそんな、『他人の所為にして自分を正当化する』ってのをやってるんだね。実際に直接被害を受けた人が憤るのは当然だと思うよ。だけど、そうじゃないのが罵詈雑言まで
『叩かれる理由があるから叩かれる』
相変わらずそんな、
『他人の所為にして自分を正当化する』
ってのをやってるんだね。実際に直接被害を受けた人が憤るのは当然だと思うよ。だけど、そうじゃないのが罵詈雑言までぶつけるのは、ただ、
『尻馬に乗ってる』
ってだけじゃん。自分の憂さ晴らしのためにね。ましてや、すでに批判が集まってる相手になんてのに、<私刑>以外に何の意味があるの?
『擁護しようとしてる奴らを上回らないと、多数決の理論で自分が正しいと考えるようになるだろ!!』
とか言うかもしれないけど、そもそも、
『法に反した行為が正当化される』
なんて、なんでそんなことになるのさ? 自分達が日常的に法に反した行いをしておきながらなんだかんだと詭弁を並べ立てて正当化しようとしてるからじゃないの? 交通法規を無視するとかさ。
自分の勝手な解釈で法を無視していいってのを散々やってきたから、
『法を犯してもそれを正当化できる詭弁さえ用意できれば免責される!』
みたいなおかしな考えが蔓延しちゃってるんじゃないの? それを今さら<数の論理>で語ろうっての?
『擁護する奴より批判する奴の方が多いからそれは間違った行いだ!!』
って話にしたいの?
『だから擁護の声より批判の声を増やさないといけないんだ!!」
とか言いたいの? それってつまり、本質的には、
『自分が法を無視しても擁護の声の方が多くて批判の声が少なければ許される』
みたいな話に持っていきたいってだけでしょうが!
本当に情けない。
確かに、裁判で、不法行為は明らかなのにあれこれ理由並べて無罪主張するのはいるし、実際にそれで無罪を勝ち取ったりするのはいるでしょうよ。でもね、日本の裁判において無罪判決が出る割合ってどれだけなのか分かってて言ってんの?
どんなに詭弁や屁理屈こねくり回したって、何とか減刑を取れるだけって事例がほとんどなんじゃないの? しかも、ただの素人が検察官よろしく追求しようとか、そんなのが認められるなら、司法試験なんか要らないでしょうが!
<誰でも検察官>
なんてのが認められるならね?
私がこういうことを言ってるのは、犯罪者を擁護するためじゃない。むしろ逆。法を捻じ曲げて<私刑>を実行する犯罪行為そのものを批判するためなんだよ。犯罪、特に<怨恨>とかが基になってる事件ってのは、結局は加害者による<私刑>じゃん。私はそれを批判してんの。
『〇〇だから自分がこれをするのは仕方ない』
『〇〇だから自分が法を無視しても許される』
ってのを批判するためなの。犯罪が起こってからどうこうじゃなくて、自分の反社会性を正当化しようとしてることそのものを批判してんの。
自分の子供達にそんなことをさせないためにね。




