今の世の中には、ありとあらゆる<創作物>が溢れてる。それこそいろんなのがね。その中から自分の好みの作品を探し出す努力をしないで好みに合わない作品にケチをつけてるなんてのは、ただの甘えだから
再度言うけど、今の世の中には、ありとあらゆる<創作物>が溢れてる。それこそいろんなのがね。その中から自分の好みの作品を探し出す努力をしないで好みに合わない作品にケチをつけてるなんてのは、ただの甘えだから。
別に『甘えるな』とは言わないよ。<言論の自由><表現の自由>は認められてるから。だけどさ、
『自由には責任が伴う』
ってのを忘れちゃダメだよ? てか、そうやって自分の好みを押し付けようとしてる人達は、自分の親から、『自由には責任が伴う』ってことを教わってんの? 教わってないなら、それを自分の子供に教えない親ってどうなの? 私ですら自分の子供達に教えてるのに。
で、<言論の自由><表現の自由>が認められてるってことは、
『自分の好みに合わない作品が作られる自由も認められてる』
ってことなんだよ。分かる? いくら自分の好みを押し付けようと喚き散らしても、そんな理屈は通用しないの。なぜそれが理解できないの?
自分の言ってることが、<意見>なのか<ただの個人的な好みの押し付け>なのかの区別もつけられないの? 区別がつけられないのなら、それはなぜ? その基準になるものを教わったことがないから?
『教わったことがないから分からない』
と言うのなら、それは『自分以外の誰かの所為』にしてるってことじゃないの?
『自分以外の誰かの所為にする』のは、<甘え>なんじゃなかったの?
『自分はこういうのが好みだ!!』
と声を上げるのはいいと思う。だけど、
『自分の好みに合わない作品はゴミ!!』
みたいなのはただの<戯言>だよ。
その程度の区別もつけられないような育てられ方をしたの?
でも、『その程度の区別もつけられないような育てられ方をした』としても、努力次第でなんとでもなるんだよね? じゃあ、『その程度の区別もつけられないような育てられ方をした』事実があってもいい歳してそれを改められないのは、やっぱりただの<甘え>だよね?
そういうのって、まったく自慢にならないと思うんだけどな。
とにかく、自分の好みに合わない作品が評価されてるからって難癖付けるのはやめた方がいいよ? そんな暇があるなら、無数の作品の中に埋もれているであろう<自分の好みに合う作品>を探す方がずっと有意義だし建設的だと思うけどな。それこそが<努力>ってもんじゃないの?
商業としての作品は、売れるかどうかでもう容赦なく<評価>される。それだけの話。何がマズかったのか、なぜ売れなかったのか、そんなことも自分で分析できないようならそりゃあ浮上できないでしょ。
貶す意味もない。




