『ニートなんて家から放り出して一人で生きるしかないようにすれば解決するだろ!!』とか言ってるのがいまだにいるみたいだけど、あのね? それ、親の手に負えない、でも手のかかるのを他所様に押し付けるってこと
『ニートなんて家から放り出して一人で生きるしかないようにすれば解決するだろ!!』
とか言ってるのがいまだにいるみたいだけど、あのね? それ、親の手に負えない、でも手のかかるのを他所様に押し付けるってことなんですけど?
親の不始末の尻拭いを、それこそ見ず知らずの赤の他人に押し付けようってのはどういう了見?
まともに他人に関わることすらできないのを『勝手に生きろ』とか放りだしたら、たとえ一人で生きられるようになる事例があったって、そうなれるまでの間は赤の他人のお世話にならなきゃいけないじゃん。まともに他人と関わることもできないのを、まともに仕事ができるようになるまで面倒見ることになるんだよ?
その子供を勝手にこの世に送り出した親の代わりにね。
ふざけてんの?
もっとも、親の手に負えないような子供を家から追い出してってのが普通に行われてた時代は、そういう風に面倒見てくれた人がいたのかもしれないけどね。でも、『ニートなんて家から放り出して一人で生きるしかないようにすれば解決するだろ!!』とか言ってる当人は、そんなことするつもりもないんでしょ?
それを無責任と言わずになんて言うの? ええ?
自分の子供をまともに育てることもできない親の尻を赤の他人に拭かせようなんて、どういう了見なのさ?
とは言っても、『子供をまともに育てることもできない親』だったからそうなったんだろうし、そのまま親に任せてるだけじゃ確かにいつまでたっても解決しないだろうけどさ。
あ、言っとくけど、
『他の兄弟姉妹はまともに育ったけど一人だけニートになった』
なんてのは、言い訳にもならないよ? むしろ、そうやって上手くいった事例と上手くいかなかった事例があるってことは、<上手くいった事例>の方も、
『たまたま上手くいっただけ』
でしかないからね?
だってそうじゃん。
<こうすれば子供が立派に育つ方法>
ってのをマジで分かっててそれを実践したんなら、どうして<上手くいった事例>と<そうじゃない事例>があるのさ? <こうすれば子供が立派に育つ方法>、役に立ってないじゃん。
私がやってることもさ、別に<こうすれば子供が立派に育つ方法>ってわけじゃないんだよ。ただ、子供達が、
『生まれてくるんじゃなかった』
とか思わずに済むようにしてるだけ。私の勝手でこの世に送り出したんだから、せめて『生まれてくるんじゃなかった』なんて思わなくても済むようにしなきゃいけないでしょ。
じゃなきゃ、
<子供を勝手にこの世に送り出したという行為>
について責任を取ったとは言えないと思うけど?




