あとさ、口を酸っぱくして言うけど、『自分の憂さ晴らしのために他人を利用する』ってのも、それこそが<自分がこの世で嫌な思いする原因>だってことを、いい加減に気付いた方がいいと思うよ? 正義かどうかは関係
あとさ、口を酸っぱくして言うけど、
『自分の憂さ晴らしのために他人を利用する』
ってのも、それこそが、
<自分がこの世で嫌な思いする原因>
だってことを、いい加減に気付いた方がいいと思うよ? 正義かどうかは関係ないし。
『自分の憂さ晴らしのために他人を利用する』ようなタイプってさ、普段からそういう振る舞いをしてるからね? なにしろ、
『自分の振る舞いを客観的に見られず他人の言葉に耳を傾けない』
しさ。だからそれを不快に感じた人からは反発されるし嫌われる。て言うかさ、もし親が<私刑>を是認するようなタイプだったら、子供だってそうなるとは思わないの? 『自分がムカつくから』ってだけの理由で<正義>を執行して、
『イジメは、イジメられる側に原因がある』
とか言って<私刑>として<イジメ>を行うと考えないの? なんでどこの学校でもどのクラスでも『イジメはある』と思われるくらいにイジメ加害者が当たり前にいるのかを、考えようとしないの?
正しいことをしてると考えて<私刑>を行うような親の子が、学校で<私刑としてのイジメ>を行うんじゃないの?
イジメ加害者に私刑を与えるつもりでまったく無関係な人を誤爆しておいてそれを悪いとも考えないような親の子が、なんで<思いやり>を持てる子に育つと思えんの?
漫画やアニメやドラマで描かれる<イジメへの対処法>を、
『ただの妄想だ!』
『空想だ!』
『絵に描いた餅だ!』
とか言っててその一方で自分の頭の中だけで考えた<イジメ対処法>が、<漫画やアニメやドラマで描かれるイジメへの対処法>と同じくただの妄想で空想で絵に描いた餅でしかないと、なぜ分からないの?
だから私は、私刑を肯定しないし、子供達にもそれを勧めない。私はただの創作者であって、警察官でも検事でもないから。警察や検察でさえ冤罪をやらかすことがあるのに、素人の私がやらかさない保障なんて一ミリもないじゃん。だったら、私が<私刑>を行っていい理由なんかどこにもないじゃん。
<私刑>や<復讐>でまったく無関係な人が巻き込まれて取り返しのつかないことになった時に、誰が、どうやって責任取るつもりなのさ? 少なくとも、私刑や復讐を推奨しようとしてる人は、自分では責任なんか取るつもりないでしょ?
私だって責任なんか取れないよ。だからやらない。私の子供達にもやらせない。
それのどこが<綺麗事>だって? ただの<当たり前の道理>じゃん。
『自分が負えない責任が発生することをしない』
ってだけなんだからさ。




