ホントにさ、<他所様の子供>が<生きている人間>だって認識できないって、冷静に考えたらものすごくヤバいことじゃないの? 自分の子供が、『他者を<生きている人間>と認識できていない』なんて状態を
ホントにさ、
<他所様の子供>
が、
<生きている人間>
だって認識できないって、冷静に考えたらものすごくヤバいことじゃないの? 自分の子供が、
『他者を<生きている人間>と認識できていない』
なんて状態に危機感を抱かない親って、ヤバくない?
『他所様の子供を、虫をいたぶる感覚で虐げる』
なんてことをヤバいと感じないのって、マジでどうかしてると思うんですけど? 私みたいなロクデナシの人間でさえ、そんなのを正常だとは思わないよ。放っておいていいとは思わないよ。自分の手に負えないなら、専門家に頼ってでもどうにかしなくちゃと思うけど?
<他所様の子供>は人間なんだよ? そう思わない親が<まとも>だとでも言うの?
いやいや、おかしいでしょ。
<自分以外の誰か>を、『自分以外の誰かの所為に』して『虫のようにいたぶる』なんて、<まともな神経を持つ人間>のすることなの?
ねえ? ねえってば?
そのことに疑問も持たないような親が育てた子供が親と同じような考えを持つようになったとしても、何も不思議はないと思うけど?
私はさ、<扱いの難しい作家>と評されている自分を正しいとは思わないんだよ。だからこそ、私と真っ向から渡り合えるさくらとだけ本気でぶつかり合うようにしてる。私と真っ向からぶつかり合えない、ぶつかり合いたいと思わない人相手に、<作家先生キャラな自分>を出すのは好ましいことだとは思わないんだ。
けれど、好ましいとは思わないけど、完璧に制御できてるわけじゃないことも自覚してるから、他者に対しても完璧は求めない。それだけ。
でも、
『他所様の子供を、虫をいたぶる感覚で虐げる』
なんてのは、放っておいちゃダメでしょ? それこそ命にも関わることなんだよ? なんでそれを放っておけるの? 意味が分からない。
自分の子供が学校とかでイジメられるのを心配するなら、イジメ被害者よりも圧倒的に数が多いはずのイジメ加害者に自分の子供がなってしまわないように気を付けるのが先じゃないの? そうやって自分の子供の様子をきちんと見てたら、たとえイジメられてても早いうちに察することもできるんじゃないの?
自分の子供をイジメ加害者にしないように努力するのが、結果としてイジメ被害者にならないように、イジメられてることに早々に気付けるようになるんじゃないの?
私の子供達は、嫌なこと辛いことがあったらそれを表に出してくれてるよ? ましてや、子供がそれを表に出してるのに見て見ぬふりをするような親のどこを尊敬しろってのさ?




