学校自体、あてにならない。イジメは被害者よりも加害者の方が数が多い。子供だって自分に都合の悪いことは正直に話さない。『イジメはなくならない』と思ってるのがいる。これだけ取っても、イジメの対策を学校だけ
学校自体、あてにならない。
イジメは被害者よりも加害者の方が数が多い。
子供だって自分に都合の悪いことは正直に話さない。
『イジメはなくならない』と思ってるのがいる。
これだけ取っても、イジメの対策を学校だけにやらせておけばいいと考えられる神経が理解できないんですけど?
てか、学校なんてあてにしてないで、親自身が自分の子供が他所様のお子さんを害さないようにしようって思わないの? そこが果てしなく謎なんですけど?
さては、何か問題があったら学校の所為にしておけばいいとか思ってる?
いやあ、そんな親に偉そうにされたくはないよねえ。
普通の学校でも、ちょっとアレな学校でも、なんだかんだと上等だと言われてる学校でも、イジメはあるんだよね? なのになんで、自分の子供が他所様のお子さんを害してないって、そんな風に思い込めるわけ?
ロクに確認もしてないのに? 子供と向き合ってもいないのに? 普段から子供の言葉に耳を傾けてもいないのに?
自分の親が自分の本性をどの程度知ってたか、自分の嘘をどの程度見抜いてたか、それを考えただけでも、きちんと子供と向き合おうとしていない親に子供のことがどの程度分かるのか、察することもできないの?
自分が自分の子供のことをどの程度理解できてるか、考えることもできないの?
自分に都合の悪い情報からは目を背けてて、自分の信じたい情報だけを信じて、それで自分の子供が他所様の子供を害してないかどうか、どれだけ見抜けるっていうのさ?
表沙汰になったイジメ事案の分だけでも、イジメ加害者の親がどれだけ自分の子供が加害者になってたことを見抜いてたの? もし見抜いてたのなら、それで大きな騒ぎになるまで対処しなかったのはなぜ?
自分の家庭を守るためなら他所の子供がどうなろうと構わないとでも考えてたの?
もしそう考えてたのなら、そんな親が口にする綺麗事に何の価値があるって?
そんな考えの大人ばっかりの社会が生き易いとでも本気で思うの?
そんな社会、誰のことも信じられないし安心できないし、どう考えたって嫌なことしかないと思うんだけど?
だから私達はね、そうじゃない者同士で力を合わせることにしたんだよ。
『自分の子供が他所様の子供を害してたって自分さえいい暮らしをできてたらそれでいい』
なんて考える人間のことは当てにしないの。もちろん、そういう人間がどうなろうと知ったことじゃない。
だってそうでしょ? 『自分の子供が他所様の子供を害してたって自分さえいい暮らしをできてたらそれでいい』のなら、自分が他の誰かから害されたって文句言えないじゃん。
自分が考えてることは、他の誰かだって考えてたりするんだよ?
でも私は、
『自分の子供が他所様の子供を害してたって別に構わない』
とか思わないけどね。




