私が<イジメ云々についての話>でいっつも疑問に感じてるのが、『なんで学校ばっかりが責められるの? イジメ加害者の親は何をやってたの?』ってことなんだよね。いや、マジで。何をやってたのさ? 学校に丸投げ
私が<イジメ云々についての話>でいっつも疑問に感じてるのが、
『なんで学校ばっかりが責められるの? イジメ加害者の親は何をやってたの?』
ってことなんだよね。いや、マジで。何をやってたのさ? 学校に丸投げして、自分は見て見ぬフリしてたってこと?
『あんたまさかイジメとかしてないだろうね?』
とか訊いてそれで子供が、
『してないよ』
みたいに言っただけでそれで、
『子供の言うことを信じてました。裏切られました!』
とか被害者ぶったりしないよね?
『子供は嘘を吐くことがある』
『子供は親の前ではいい子を演じようとすることがある』
まさかそういうのを知らないわけじゃないよね? 自分が子供だった頃に、
『親に対して何一つ包み隠さずすべて正直に打ち明けてた』
とか、言わないよね? そんな子供、一万人中何人いるのさ?
『あんたまさかイジメとかしてないだろうね?』とか一度や二度聞かれたからって本当に正直に答えてた子供がどれだけいたって? そういう子供が普通だったら、なんで、
『イジメはなくならない』
と言っちゃうのが出てくるくらいにイジメが当たり前のように起こってんの?
おかしいじゃん。
ああそうだよね。『あんたまさかイジメとかしてないだろうね?』とか一度や二度聞かれたからって本当に正直に答える子供ばっかりだったら、『イジメはなくならない』なんて実感が出てくるわけないよね? だって、たまに何かのついでで『あんたまさかイジメとかしてないだろうね?』って子供に訊くだけでイジメをしてないって分かるなら、それを徹底すればいいだけじゃん。それでなんで、『イジメはなくならない』って思えるわけ?
まさか、たまに『あんたまさかイジメとかしてないだろうね?』って子供に訊くくらいのことさえできない人間ばっかりだってこと? もしそうなら、それこそ<努力>なんて言葉を口にする資格があるなんて思えないけど?
たまに『あんたまさかイジメとかしてないだろうね?』って子供に訊くくらいの努力もできないような人間に、なんで努力を口にする資格があると思えるのさ?
ってことはやっぱり、
『たまに『あんたまさかイジメとかしてないだろうね?』って子供に訊くくらい』
じゃ、
『自分の子供が他所様の子供をイジメたりしないように努力してる』
なんて、到底言えないよね? それで、『してないよ』って子供が答えたとしても、それが本当かどうかを見抜く努力をしてない以上はさ。
取り敢えず、学校とかの対応を責めてるだけじゃ何の解決にもならないって思わないのがおかしいんじゃないの?




