親が意識を向けるべきは、見ず知らずの他所の子供じゃなくて、自分の子供でしょ? その努力を惜しんでおいて『努力さえすれば何とでもなる!』とか言ってたんじゃ、そりゃ説得力の欠片もないって
親が意識を向けるべきは、見ず知らずの他所の子供じゃなくて、自分の子供でしょ? その努力を惜しんでおいて『努力さえすれば何とでもなる!』とか言ってたんじゃ、そりゃ説得力の欠片もないって。
って言ったら、どんな言い訳してくるかなあ?
だけどさ、親の勝手でこの世に一方的に送り出されて、なのにその張本人の親が自分を見ずに見ず知らずの他所の子供を熱心に相手してて、それで嬉しいもんかね?
物心ついて親に対して期待もしなくなった頃なら確かに構われない方がありがたいかもしれないけど、でも、そうなる前だったら? 親に構ってほしくてちょっかい掛けちゃう頃だったら? その頃の子供が、自分の親が自分をほったらかしにして全く赤の他人の他所の子供ばっかり構ってて、それで嬉しいとでも本気で思うの?
そんなことしてるから、子供に愛想尽かされちゃうんじゃないの?
どうして、ネットの向こうの、どこの誰かも分からない他所の子供相手にムキになって時間費やしてんの? そうしてその時間を使って自分の子供と向き合おうとしないの?
あ、言っとくけど、相手の年齢は関係ないよ? 十代だろうが六十代だろうが、<誰かの子供>であることには変わりないからね? まさか霞が集まって固まって人間の形になるわけでもないんだからさ。
ホント、他所様の子供を嘲って貶して蔑んでってしてる<親>がいるとしたらそれこそ嘆かわしいし、そんなことをしてる暇があるなら自分の子供の言葉に耳を傾ける<努力>をするべきだと思うんだけどね。
<自分の子供の言葉に耳を傾ける努力>をしない親に努力を語る資格があるとは思えないんだよねえ。私がもしそんなことをしてたら、子供達に顔向けできないよ。それこそ偉そうなことは言えなくなる。ただでさえ<未婚の母>っていう、世間からは蔑まれがちな選択をしちゃったんだしさ。その上、自分の子供達の言葉にも耳を傾けないなんて、それのどこに<努力>があるって?
世間から蔑まれがちな未婚の母という選択を回避する努力をしなかった私が子供達に努力を語るって、とんだお笑い種だよね。
だから私は、自分の子供達に、
『どんなことでも努力次第で乗り越えられる』
みたいなことは言わないんだよ。私自身が『どんなことでも乗り越えてきた』わけじゃないからさ。
<両親や兄との和解>も成し遂げてないし、<ダンナとの法律婚>も成し遂げてないしさ。
<厄介な親族との和解>とか、<浮気や不倫の回避>とか、<仕事上の表に出せないあれこれをやらずに済む手立て>とか、そういう努力をしてこなかった、したけど乗り越えられなかった親はそれこそ、『どんなことでも努力次第で乗り越えられる』なんて言っちゃいけないよねえ。
自分が乗り越えられなかったんだからさ。




