『この世で作られるすべての作品が自分の好みに合わせて作られるべきだ』って考えてる人は、いったい、この世のどこを見てるの? なんかそういう人って、自分の境遇も<親ガチャ>で説明しそうな印象があるんだけど
ホントに何度も言うけど、
『この世で作られるすべての作品が自分の好みに合わせて作られるべきだ』
って考えてる人は、いったい、この世のどこを見てるの? なんかそういう人って、自分の境遇も<親ガチャ>で説明しそうな印象があるんだけど?
<自分で自分の好みに合う作品を探す努力>
をせずに、ただ口を開けて自分の好みの作品が与えられるのを待ってるだけだしさ。それ、自分の境遇をただ親の所為にして嘆いてるだけなのと、何が違うの?
もうさ、<好み>ってもん自体がものすごく細分化して、多くの人が同時に『面白い!』って思えるものが成立しにくくなってるんだって現実に、いつになったら気付くの?
あと、『この世で作られるすべての作品が自分の好みに合わせて作られるべきだ』みたいなこと考えてる人ほど、
『ファンや読者や視聴者のことを考えろ!』
的なことを言ってる印象もあるんだよね。だけどさ、それを口にしてる本人こそが、
『自分の好みに合わない作品にもそれぞれファンがいる』
っていう現実を見てないんだ。自分の好みに合わせようとするということは、そのファン達を蔑ろにする行い以外の何物でもないってことを理解してない。ファンだとか読者だとか視聴者だとかとにかく主語を大きくしたがるだけで、自分のことしか考えてないんだよ。
いったい、いつになったら現実と向き合うことができるようになるのさ?
<親ガチャ>って言葉を使っていくら自分の境遇を嘆いてもそれだけじゃ問題が解決しないのと同じで、いくら<ファン><読者><視聴者>って言葉を振り回したってすべての作品が自分の好みに作られることなんて有り得ないんだよ?
私は、<親ガチャ>って言葉を潰せば問題が解決するなんて思わないけど、だからって、<ファン>や<読者>や<視聴者>って言葉を振り回せばすべての作品が自分の好み通りに作られるようになるなんてことも有り得ないんだよね。
とにかく、ロクでもない親に苦しめられてる子供もいるのは事実でも、別に、
『自分の好みに合わない作品を見た』
なんてことは、それに比べたら本当になんてことない話だよね? 自分の好みに合う作品を探せばいいだけじゃん。自分の好みに合わない作品を摂取してる暇があるなら、自分の好みに合う作品を探す時間に充てたらいいじゃん。少なくとも、ロクでもない親の下で這い上がる努力をすることに比べたら、本当になんてこともない話だよね?
なんでその努力をしないのさ? そんな大変なことでもないと思うんだけど?




