『ネタにマジレス』って言葉もあるけど、まあそれも<逃げ>のための言葉だよね。<ネタ>としてコメントされたことをきっかけにして話を膨らませるというのもあって当然だと思うけど?
『ネタにマジレス』って言葉もあるけど、まあそれも<逃げ>のための言葉だよね。<ネタ>としてコメントされたことをきっかけにして話を膨らませるというのもあって当然だと思うけど?
その一方でさ、
『<親ガチャ>という言葉が使っていい言葉とは思えない』
『<親ガチャ>という言葉がリアルに広まるのは好ましくない』
とか言ってるのもいるみたいだけどさ、んん~?
<他者を愚弄し貶し蔑み見下し傷付けようとするネットスラング>
なんて他にもいくらでもあるじゃん。どうしてそれについては、
『<親ガチャ>って言葉が広まらないようにする』
ほどの対処をしないのさ? 他のネットスラングがリアルで広まりつつあっても、そこまで必死になってないよね?
まあそれ以上に根本的におかしいことがあるんだよ?
パソコンやスマホの画面の向こうにいるのは、<仮想の存在>なんかじゃないんだよ? 生身の人間。現に<ネットイジメ>なんてものがすでに存在するのに、ネットで袋叩きになったことで追い詰められた人がいるのに、まだ、
『ネットとリアルは違う』
とか言い張るわけ?
ネットで袋叩きにされるよりも、自分の子供一人や二人に『親ガチャ外れた!』って言われる方がダメージが大きいとでも言いたいの?
『ダメージの大きい小さいの問題じゃない!』
とでも? んん~? それこそおかしいよね? ダメージの大きい小さいの問題じゃないなら、ネットを通じてイジメられてる人に対して、
『ネットで言われてることなんて気にしなきゃいい! どうせリアルじゃないんだし』
とか言うのはおかしくない?
『ネットで叩かれたくらいで死ぬ奴は弱者なんだから淘汰されて当然』
とか言うのはおかしくない? その理屈で言うなら、
『自分が勝手にこの世に送り出した子供に『親ガチャ外れた!』とか言われた程度で本気でショック受けるような弱者は淘汰されて当然』
って話にならない?
もっとも、私は、『弱者なんだから淘汰されて当然』とか思わないけどね。
でも、疑問には思うわけよ。<努力>を口にしながら自分は現実を受け止める努力をしないみたいなのはさ?
『子供をこの世に送り出したのは何をどう言い繕ったって親の勝手』
『スマホやパソコンの画面の向こうにいるのは生身の人間なんだから、何をどう言い繕ったってネットと現実はシームレスに地続きであり現実の一部分でしかない』
っていう現実を受け止める努力を、どうしてしないのさ? 努力すればなんでもできるようになるんでしょ? だったらすればいいじゃん。




