創作者さんの中には自分の作品を、『自分の子供みたいに思ってる』って人がいるんだけど、私にもそういう感覚はないこともないんだけど、同時に、『自分の子供って考えるとおかしなことになるよなあ』とは感じてる
ところでさ、創作者さんの中には自分の作品を、
『自分の子供みたいに思ってる』
って人がいるんだけど、私にもそういう感覚はないこともないんだけど、同時に、
『自分の子供って考えるとおかしなことになるよなあ』
とは感じてるんだ。
だってそうでしょ?
『自分の子供でお金を稼いでる』
ってことになっちゃうしさ。
作品を生み出す時点では確かに我が子を生み出すようなつもりで臨むとしても、その結果としてできた<作品>は<商品>になるわけで、<飯のタネ>なわけでしょ? だからその辺りは割り切って考えた方が精神衛生上はいいんじゃないかなあとは感じてる。
もちろん、自分の作品に対してどういう思い入れをするかは人それぞれだから、<我が子>のように感じることが悪いとは言わないよ。それくらい心血を注ぎ込んでる創作者さんもいるんだなって思うだけでさ。
ただ、実際に子供がいる身としては、<ホントの私の子>と<作品>は違うんだよねえ。<作品>は、さくらの選別を受けて選ばれたものは出版社に、
『もらわれて』
いくんだよ。ドナドナされちゃうんだ。それは悲しいよ。だから私は、自分の作品を<我が子>とは考えない。ある意味では、<産業動物>に近いかな。もちろん、<作品>そのものは、『物理的に見て生命体ではない』から産業動物でさえないのは事実なんだけど、手間暇かけてある意味では愛情注いで情熱を注いで育て上げたものを<出荷>するような感覚には近いものもあるかもしれない。
そう考えると、自分の作品がアニメ化された時に見る影もないものにされちゃったら、
『大切に育てて出荷した牛や豚が酷い調理されて食べてももらえない』
みたいな感じだとすればなるほどショックだろうなとも思う。
ただ、私はその辺りは捉え方が違ってて、
<私の手を介せず生み出された作品は、私以外の人の作品>
って感覚なんだよ。まあ、まだアニメ化とかされたことがないからその部分についはまだ実感ないけど、基本的にはそう感じてる。私の作品の名前や設定やキャラが使われてても、
<私以外の創作者さんが独自の解釈で作り上げたもの>
と思えちゃうだろうなってさ。
ま、そう考えておいた方がどんな出来になったって気にせずにいられるだろうし、それでいいと思ってる。
だってさあ、どんなに私にとって素晴らしい出来になったとしても、『自分の好みの作品じゃない』ってだけで叩くのがいるんだよ? 私が制作に関わってない私の作品の名前を冠した作品でそうやって叩かれるなんてのは、さすがに気分良くないしさ。
だから切り離すんだよ。
だってそういう<仕組み>なんだから。




