『自分の好みこそが価値観こそが至高』そんなの、ただの<承認欲求>だよね? 自分の好みや価値観こそが素晴らしくて正しいと誰かに認めてもらいたいだけじゃん。そんなに誰かに認めてもらわないと不安なの?
『自分の好みこそが価値観こそが至高』
そんなの、ただの<承認欲求>だよね? 自分の好みや価値観こそが素晴らしくて正しいと誰かに認めてもらいたいだけじゃん。そんなに誰かに認めてもらわないと不安なの?
私はアンチに叩かれまくってるけど、それを気にしないでいられてるのは、結局、家族のおかげなんだよね。家族に認めてもらえてるから、私のことをロクに知りもしないどっかの誰かの好き嫌いなんて、どうでもいいの。
この世のすべての人の好みに合う作品なんて作れるはずがないって現実を認めてるしさ。
これは、創作者側が心得た方がいいことでもあるけど、やっぱ、視聴者や読者の方もわきまえるべきことだよね。
『この世のすべての人の好みに合う作品なんて作れるはずがない』
って現実はさ。
演出や脚本や展開やリアリティなんて、どこまで行っても頑張っても何をどう理屈をこねくり回しても<個人の好み>の壁は超えられないんだよ。
『自分の好みに合う作品は、他の誰かの好みには合わない作品かもしれない』
それは決して解決しない問題なんだ。
『自分の言うとおりに作れば面白くなる!』とか言ってる人は、自分が好きな作品を上げてごらんよ。自分が面白いと思う作品を上げてごらんよ。必ず、
『そんなもんのどこが面白いんだよ!』
って言うのがいるからさ。今、世間で『売れてる』って言われる作品のことも『これのどこが面白いんだか』とか言うのがいる時点でもう分かるよね? むしろなぜ分からないのかが分からない。
ただ、それも結局、『自分の好みこそが価値観こそが至高』だと思いたい、自分の好みや価値観を誰かに認めてもらいたい<承認欲求>だって考えたら、腑に落ちちゃうんだよね。
対象をアニメだけに絞ったって、
『アニメの質が下がった』
とか言ってる人にとって、
『いいアニメが面白いアニメが多かった』
って言う時代に作られたすべてのアニメを見てごらんよ? たとえ同じジャンルのアニメでも、『自分にはちょっと』ってのがあるだろうからさ。
作り手が徹底的に拘った作品でも、『つまらない』と感じるものがあるからさ。
で、そういうものについては、
『作り手のオナニーを見せられてるだけ』
とか言うんでしょ? でもさ、『自分の言うとおりに作れば面白くなる!』って言ってるのも、所詮は<受け手側のオナニー>なんだよね。自分が実際にその通りに作ってみれば分かるよ。
自分の好みと他人の好みは違うっていう現実を実感できるよ。
ま、今じゃ<作り手>の多くもかつては<受け手>だったわけで、自分が見た作品について『作り手のオナニーを見せられてるだけ』『自分が思ってる通りに作ればもっと面白くなる』と思って作品作りしてたりするんだけどね。




