今の世の中はね、<上手くいってない事例を基準にして命の選別>なんて行えないんだよ。なんでかって?そんなの、『<上手くいってる事例>に対してまで理不尽な切り捨てによる死をもたらさないため』に決まって
今の世の中はね、
<上手くいってない事例を基準にして命の選別>
なんて行えないんだよ。なんでかって? そんなの、
『<上手くいってる事例>に対してまで理不尽な切り捨てによる死をもたらさないため』
に決まってんでしょ。
『上手くできない事例を想定して法律は作られてる!』
とか言うかもしれないけど、あのね?
<上手くいかない事態を想定して作られた法律>
とか、
<悪用する輩を想定して作られた法律>
ってのは、結局、
『<上手くできない奴><悪用しようとする奴>がもたらす理不尽な被害を未然に防ぐため』
でしょうが?
はっきり言えば、
『銃や刃物を悪用する奴や、自動車を暴走させる奴から、命を守るため。理不尽に命を奪われるのを防ぐため』
ってことよね? それなのに、なんで、<上手くできない事例>を基準にして、<上手くいってる事例>の命まで理不尽に切り捨てられなきゃなんないの?
おかしいでしょ?
『刑事責任能力も持たない奴が事件を起こしてたりするだろ!?』
って? だから、
『何でそんな奴のために、事件も起こしてない人まで殺されなきゃならないの?』
って言ってんの。
私は、自分の家族がそんな理不尽な理由で殺されたりしたら、それこそそんな制度を作った奴に復讐を誓うでしょうね。事件も起こしてないのに『事件を起こすかもしれない』で家族を殺されるとか、銃や刃物を悪用する奴や自動車を暴走させる奴に殺されるのと何が違うの?
むしろ、確信犯的に人を殺してるって分だけ、さらに悪質だよね?
<刑事責任能力も持たない奴が事件を起こす事例>
については、
『なぜ事件を起こすに至ったか?』
って部分について、
『周囲の人間の接し方に瑕疵がなかったのか?』
という、すぐにタブー視されて見て見ぬフリされる部分にまで踏み込むことをしたらどうなの?
『親は愛情を注いでた』
とか、
『家族は努力してた』
とか、<綺麗事>で誤魔化さないでさ。
<愛情>も<努力>も、常に正しいとは限らないんだよ。むしろ、愛情だの努力だのってお綺麗な言葉で蓋をされてる部分にこそ問題の根幹があるんじゃないの? そこに切り込まないで『タブーに切り込む』だとか、まるっきり茶番以外の何物でもないでしょうが。
とにかく私は、そんな茶番で自分の家族の命を切り捨てる制度を作られるとか、真っ平ごめんだよ。
『刑事責任能力も持たない奴が起こした事件の被害者や遺族の気持ちを考えろ!』
って? はあ? それを言うなら、
<事件も起こしてないのに『事件を起こすかもしれない』で殺される本人やその遺族の気持ち>
も考えなきゃおかしいでしょうが!




