『親の所為にするな』とか『他人の所為にするな』とか『社会の所為にするな』とか言ってる人ほど、実は、『他人の所為』にしてたりするんだよね。だってそうじゃん? ネットとかで誰かを罵ってるの、『相手の所為』
『親の所為にするな』とか『他人の所為にするな』とか『社会の所為にするな』とか言ってる人ほど、実は、『他人の所為』にしてたりするんだよね。
だってそうじゃん? ネットとかで誰かを罵ってるの、『相手の所為』にしてるしさ。
他人を罵ったりするのは礼儀に反するはずなのに、『罵られるようなことをする奴が悪い』って『他人の所為』にして自分を正当化してるじゃん。
『自分は他人の所為にしてもいいけど、自分以外の誰かが他人の所為にするのは許さない』
とか、何のつもりなんだろうね。
ネットとかで他人を罵るのがやめられないのはなぜ? ねえ、なぜなの? 親はそうやって他人を罵るのは礼儀礼節に反すると教えてくれなかったの? 教えてくれなかったからやめられないのなら、それは、
『親の所為にしてる』
ってことだよね? 自分の行いは親の所為にして正当化するのに、他人には『親の所為にするな』って言うの? それ、恥ずかしくない?
そして、親に、『他人を罵るのは礼儀礼節に反する』と教えてもらったのにやめられないんだとしたら、それはなぜ? ねえ、なぜなの? 親に言われたんでしょ? 諭されたんでしょ? 諌められたんでしょ? なのになぜやめないの?
ねえ、なんで?
『罵られるようなことをする奴が悪い』から? そうやって『他人の所為』にするのはなぜ? 誰にそんな風にすることを教わったの?
もし、『親がそうしてたから』って言うなら、それも『親の所為にしてる』ってことだよね?
いずれにせよ、『親の所為にするな』とか『他人の所為にするな』とか『社会の所為にするな』とか言ってる人ほど、実は、『他人の所為』にしてるってことだよね。
そう考えればさ、自分を正当化せずに済むんだよ。
ただし、これはあくまで、
<客観的に物事を見ようとする姿勢>
を自分に持たせるためのものであって、
<自分を責めるためのもの>
でもないんだ。ほら、世の中には、何でもかんでも『自分の所為』ってことにしちゃって自罰的になる人もいるじゃん? それはそれで具合悪いしさ。
<原因>
<責任の所在>
<解決策>
ってのは、それぞれ深く影響し合いながらも、関連しながらも、だからこそ冷静に客観的に考える必要があるんだと思う。
子供がニートになる一番の原因は親にあると思うけど、だからって親の責任を追及するだけじゃ解決には繋がらない。ニートになるような年齢になっているなら、すでに子供の側だって自分の人生を生き方を自分で考えられる程度には歳を重ねてるってことでしょ?
原因は親にあっても、解決策は子供の側も努力しないと成立しないと思うよ。
それも事実だと思う。
とは言え、ちゃんと自分の足で立てるようにしてからじゃないと、ただ一方的に放り出すだけじゃ、赤の他人に迷惑を掛けるだけだろうから、それはわきまえないとね。




