子供が赤の他人やフィクションの真似してるのを諫めるのが面倒臭いから『子供が真似するようなことを見せるな!』って言ってんの? それってただ単に、自分が楽したいからってだけの話だよね?
何度も言うけど、
『赤の他人やフィクションが子供が与える影響に親が負ける』
ってのはさ、本来は<恥ずかしいこと>だと私は思う。子供が乳幼児だった頃にはそれこそ<生殺与奪の権>さえ握ってたはずの親が、なんで、ちょっとばかり子供の目に触れただけの赤の他人やフィクションに負けるの?
『子供が真似するから!』
とか、それ、事実上の<敗北宣言>じゃないの? 親としての。
それとも、子供が赤の他人やフィクションの真似してるのを諫めるのが面倒臭いから『子供が真似するようなことを見せるな!』って言ってんの? それってただ単に、自分が楽したいからってだけの話だよね?
なのに、『子供が真似するから!』とか言って赤の他人やフィクションに難癖付ける親自身が、
『ルールを守らない』
『マナーを守らない』
じゃあ、話になんないじゃん。子供が真似をしてるのは、赤の他人の振る舞いでも、フィクションの演出でもなく、<親の振る舞い>なんじゃないの?
私の子供達は、自転車の二人乗りもしないし傘差し運転もしないしスマホとかいじりながら運転もしないよ? 私がそれをしないようにしてたし、しちゃいけないことはしちゃいけないって逐一諭してきたしさ。
『面倒臭い』
って言わずにさ。
それをするのが面倒臭いから、『子供が真似するから!』とか言って赤の他人やフィクションに難癖付けるとか、マジで自分を甘やかしたいだけじゃん。
親がそうやって『面倒臭いことはやりたくない』って姿勢を見せてるから、子供も、
『とにかく手間を惜しんで効率的に自分が望む結果だけを得ようとする』
ってなるんじゃないの? 映画やアニメを倍速で見たりとかさ。
別に、
『映画やアニメを倍速で見たりするのはよくない』
って言いたいわけじゃないんだよ。
『そうやって手間を惜しむ姿勢は誰から学んだの?』
って言いたいだけ。
私も、私の子供達も、自分の好きな作品はゆっくり見たいし、見終わってからの余韻に浸りたいタイプなんだよね。自分の好きなことにはちゃんと手間を掛けたいんだ。
その反面、自分にとってどうでもいいことについては全力で手間を惜しむけどさ。
子供と向き合うこととか、趣味に手間を掛けるとか、そういうことについて手間を惜しむって、つまり、『そういうこと』なんじゃないの?
本心では『どうでもいい』と思ってるってことじゃないの?
残念だよね。本当に残念だ。
でもまあ、他人の楽しみ方に口出しはしないよ。本当に楽しめてるのかどうかは知らないけどさ。




