最近さ、『正しいのはいつも自分で、間違っているのはいつも自分以外の誰か』って考えてるのが目立つよね。フィクションの描写や演出にケチつけたり、新しい伝染病について自分の解釈でどうにかしようってするの
最近さ、
『正しいのはいつも自分で、間違っているのはいつも自分以外の誰か』
って考えてるのが目立つよね。フィクションの描写や演出にケチつけたり、新しい伝染病について自分の解釈でどうにかしようってするの。
ねえ、それって何で? 何でそうなっちゃったの?
私は自分だけが正しいなんて思わないし、ダンナもそんなこと考えないし、私の子供達だってそうじゃない。客観的に見てそれが合理的なのか筋が通ってるかどうかを考えるようにしてるだけだよ。
親が子供を一方的に怒鳴りつけるのを、
『親が子供を叱るのは当然だ』
と、親だけが一方的に正しいと考える。ねえ? なんで? なんでそれが常に正しいことだって言えんの? 親だって人間なんだよ? 常に正しいことしかしないわけじゃない。何一つ間違えない存在じゃないんだよ?
親が何かやらかしたら、
『親だって人間だ!』
って言うじゃん。それって、
『人間は常に正しいことしかしないわけじゃない。間違わないわけじゃない』
ってことでしょ? だから『親だって人間だ!』って『人間だから失敗することもあるし間違うこともある』って言い訳するんでしょ?
『だから許せ』
って言いたいんでしょ? だったらなんで、
『親のすることはいつだって正しい。間違いはない』
なんて言えんの? 『親のすることはいつだって正しい。間違いはない』と言い張っておいて、それで決定的に失敗したら間違ったら、
『親だって人間だから許せ』
とか、泣き言を口にする。
だったら最初から、『親のすることはいつだって正しい。間違いはない』なんて言わなきゃいいじゃん。子供を怒鳴りつけたことが本当に正しかったかどうか、なんで省みないの?
最近目立つ、
『正しいのはいつも自分で、間違っているのはいつも自分以外の誰か』
というのは、その人の親が子供に対して見せてた態度じゃないの?
『親のすることはいつだって正しい。間違いはない』
みたいな態度で、自分の正しさを押し付けてたんじゃないの? それを真似してるだけなんじゃないの?
もしそうじゃないっていうのなら、誰からそんな姿勢を学んだの?
『自分の言ってることだけが正しい』
なんて、誰から教わってのさ?
私は、自分だけが正しいなんて思わない。だからこそ、
『それはホントに正しいの? 間違ってないの?』
って問い掛けるんだよ。自分自身に対してもさ。
自分の考えてることを疑ってみて、いろんな事例に当てはめてみて、それで合理的に噛み合うかどうかを確かめるようにしてるんだよ。
そうしたら、『親のすることはいつだって正しい。間違いはない』なんて考え方は破綻してるとしか思えないんだよね。
だってそうでしょ? 正しいことしかしない親がどうして信号無視したりすんの。自転車の傘差し運転とかすんの? スピード違反すんの? 駐車違反すんの? 飲酒運転したりすんの? 不倫すんの? 離婚したりすんの? 自分の子供が誰かをイジメてるのを見過ごすの?
ねえ、なんで?




