昨今の、『何もかも説明してもらわないと理解できない読者や視聴者が増えた』って話は、まあ、なんとなく分かる気がするよ。先日も触れた、<原付に二人乗りしてる女子高生のアニメ>の件だって
昨今の、
『何もかも説明してもらわないと理解できない読者や視聴者が増えた』
って話は、まあ、なんとなく分かる気がするよ。先日も触れた、
<原付に二人乗りしてる女子高生のアニメ>
の件だって、あれはあくまで、あの女の子達の<ささやかな反抗>を描写したものだって私は感じたけど、それが理解できない人間が、野暮なケチをつけたんだろうな。ってことでさ。
だけどさ、同時に、それを理解できないことを、
『頭が悪い』
と見下すことも、ただの<思考放棄>だよね。そういう人間もいるという現実から目を背けるためのさ。
それもあって、私は、アンチについてどうこうしないようにしてるんだよ。さすがに具体的な脅迫とかについてはこれはもう<感性>とか<感想>とかの話じゃなく普通に刑法犯だから対処しないわけにもいかなくても、そこまでじゃなくて、私の作品が好みに合わないからごちゃごちゃ言ってるのについてはね。
でも、そういうのが、創作を萎縮させてダメにしてるんだろうなっていう実感もあるんだ。
私は元々の性格もあってスルーできてても、創作者だって人間なんだから、罵倒されたりしたら気分良くないのは当然だし、
『お客様は神様』
『金もらってるなら何を言われても仕方ない』
なんてのは時代錯誤も甚だしい戯言だっていうのも思う。
『金もらってるなら何を言われても仕方ない』と創作者を貶しながら、自分は仕事でお客に理不尽なことされたら被害者面するのは、自分自身を省みるってことができてない人間のすることだからね。
『一から十まで描写してもらわなきゃ理解できない。っていう読者や視聴者がいる』
という事実も、創作者は受け止めなきゃいけないし、逆に、読者や視聴者の方も、
『すべての創作が自分の好みに合わせて作られるわけじゃない』
という事実を受け止めなきゃいけないと思うんだよ。
そうすれば、創作者の方は、
『自分の作品を評価しない人間は必ずいる』
という現実と向き合って、そういう<自分の作品を評価しない人間の声>に惑わされずに創作ができるようになるだろうし、読者や視聴者の方は、
『自分の好みに合わない作品は必ず存在する』
という現実と向き合って、<自分の好みに合わない作品>に時間を費やすんじゃなく、自分の好みに合う作品を深く摂取することができるようになると思うんだ。
てか、そうするのが双方にとってプラスだと思うんだけどな。
『創作者は自由に自分の思う作品を作ることで、読者や視聴者は自分の好みに合う作品に出会うことができる』
と思うんだよ。




