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私が親に対して厳しいことを言ってるように見えても実際にはそれは自分自身に言い聞かせるためにそう考えるようにしてるだけなのと同じで、『イジメられる方が悪い』というのも、自分自身に言い聞かせるためなら

私が親に対して厳しいことを言ってるように見えても実際にはそれは自分自身に言い聞かせるためにそう考えるようにしてるだけなのと同じで、『イジメられる方が悪い』というのも、自分自身に言い聞かせるためなら、その意図も分かるよ。


『イジメられる原因が自分にあって、そんな自分を変えたいと考えるからこそ』


ってことだったらさ。


ただそれは、どうしたって<イジメる側>にとって都合のいい考え方だからさ。しかも、『イジメられるのは自分が悪いから』って考えるのも、それが行き過ぎて、


『自分がいなくなればみんな幸せになる』


みたいなのに至るとヤバいじゃん?


それで言ったら私が考えてることも、


<問題行動を起こしてる子供の側にとって都合のいい理屈>


として利用される可能性はあるよね。だからそっちはそっちで考えなきゃいけない。そのために、


『自分を省みず、『他人の所為』『社会の所為』にして逃げるのはどうなの?』


って言ってるんだしさ。


子供がどういう人間性を持ったのに育つかは、親に原因がある。でも、そこで『親の所為』にしてるだけじゃ問題が解決するわけじゃないのも事実だと思う。子供自身、自分を、


<親とは別の一人の人間>


だと思うなら、


『<親の影響>から脱するにはどうすればいいか?』


ってのを考える必要があると思うんだよ。私もそれを心掛けてきた。『自分以外の誰かの所為』にするのは確かに楽だけど、そうしてるだけじゃ問題は解決しないんだよね。私自身、そのことを実感してる。自分が親とは別の人間だと思えばこそ、『自分が変わらなきゃ』って思うんだよ。


私自身、今では<親>だけど、当然、かつては<子供>だったしさ。


でもその一方で、<イジメ>ってのは親子関係とは違うよね。


『成長することで<イジメられる側>だったのが<イジメる側>に』


なっちゃおかしいでしょ? <子供>は<親>になれても、<イジメられる側>が<イジメる側>になっちゃダメじゃん。


イジメられてる側が、自分自身を変えるために『イジメられる方が悪い』と自分を叱咤するのはありだと思う。だけど、そうやって自分を追い詰め過ぎても行先は<破滅>しかないと思うんだよ。


だから私は、自分の子供達がイジメられても、


『イジメられる方が悪い』


とは、言わないよ。だって私は、子供達とは<別の人間>だから。本人じゃないから。


そして同時に、子供達を<イジメる側>にもしない。そんなことを見過ごすつもりもない。子供達をこの世に送り出したのは私とダンナなんだから、この世に対する不平不満については、私とダンナで受け止める。


その覚悟があったから、来てもらったんだしさ。



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